今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』

10月25日(金)晴れ

 10月20日、今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』(平凡社新書)を読み終える。読み終えてから、このブログで取り上げるまでに多少の時間がかかったのは、この書物が取り扱っている主題が重大だからである。主題の重大さを反映して、この書物は「はじめに」と題される趣旨説明の部分がかなり長い。ということは、この部分を丁寧に読むこととで著者の言いたいことのかなりの部分はわかるということだと考えられるので、今回はこの作業に専念することにしたい。とはいうものの、書物の全体を見ておくことも必要なので、目次を紹介しておく。

はじめにーーなぜ「学校と暴力」なのか
 いじめと体罰はセットで語られる
 いじめ・体罰問題への「まなざし」/信頼関係を築くために
Ⅰ いじめ問題を見直す
1 子どものいじめがなぜ深刻な「社会問題」になるのか
 いじめ問題への関心/イギリスでいじめ問題を考える
2 日本でのいじめ「社会問題」化
 いじめ「社会問題」化の始まり
 いじめ件数調査の諸特徴
 いじめ「社会問題」の<四つの波>
 <第一の波 1980年代半ば>ー―いじめの本格的な社会問題化
 <第二の波 1990年代半ば>――いじめの刑事犯罪化
 <第三の波 2000年代半ば>――学校と教育委員会の隠蔽体質への批判
 <第四の波 2010年代初頭>――「いじめ防止対策推進法」の制定
 「事件対処型」発想を変えよう!
3 いじめの仕組みはどうなっているか
 青年前期の基本的特徴/現代の青年前期の特徴/いじめが暴力化する環境変化
4 いじめ問題のとらえ方と克服法
 いじめ問題混乱の原因/いじめの定義/学校の危機管理といじめ裁判
 いじめ問題の克服と学級・学校づくり

Ⅱ 体罰問題を見直す
1 体罰がなぜ深刻な「社会問題」になるのか
 世界の「学校と体罰」から見る日本の特徴
 許される「懲戒」と許されない「体罰」の違いとは/体罰の否定論と、根強い肯定論
2 体罰問題のとらえ方は変化しているか
 「評価の時代」の体罰の意味
 「愛の鞭」を再考する
 体罰と懲戒を区別する
3 体罰の仕組みはどうなっているか
 「権力」関係と「権威」関係/大人の「支配欲」が子どもに向けられる
 大人の「自己愛」/人間の本性に潜む攻撃性
4 体罰問題をどう克服するか
 「体罰」に代えて「懲戒」を使おう
 懲戒のガイドラインをオープンに決める/冷静に叱り、感情的に誉める
 「追い詰める叱責」と「育てる叱責」
 「叱責」ということば

Ⅲ 「学校と暴力」を考える
1 安全なはずの学校でなぜ暴力が生じるか
 校内暴力問題に向き合う
 人間の攻撃性/「良性」「悪性」の攻撃性と青年前期
 攻撃性の「良性」から「悪性」への転化が暴力につながる
2 暴力を誘発する学校・誘発しない学校
 学校文化に潜む暴力性
 学校組織文化・教員ストレス・協働性/学校組織文化と暴力の抑制
3 いじめ・体罰問題を克服して暴力を抑止するには
 「安全・安心」の仕組み
 「学校安全」を目指す学校危機管理/エンパワーメントと学校づくり
おわりに

 「1980年代から大きな社会問題となってきた学校でのいじめと体罰を改めて取り上げて、『学校組織の奥深くに潜む暴力』という新たな視点から総合的に検討しなおし、その問題解決の筋道を探ること」(10ページ)がこの書物の主題であると著者はいう。学校は暴力とは無縁の場所であるはずであるが、現実には学校における暴力事件のニュースは後を絶たない。学校についての理想論に固執して、暴力事件を例外的な事件であると切り捨て続けてよいのか。そうこうしているうちにもいじめと体罰がエスカレートして刑事犯罪にいたることがある。このような事例がたび重なるのは「学校組織の奥底に潜む暴力の根に学校関係者が無頓着なせいなのではないか」(11ページ)と著者は問う。

 いじめと体罰は基本的に異なる問題である。いじめは子ども同士の間で起き、体罰は教師と生徒の関係で起きる問題だからである。しかし、実際に起きた事件を詳しく検討していくと、それぞれの行為の内容やその結果、あるいは事件に対する人々や学校教育機関が示す態度などをめぐって、いくつかの共通性がみられると著者はいう。事件の経緯をたどっていくと、いじめと体罰のどちらも加害行為の奥底に相手を自分の思うままに操作したいという「勢力行使欲求」つまり「支配欲」という深層心理が働いているのではないかと思われる。だとすれば、この欲求にどのように向き合うかが学校にとっての課題となるはずである。

 いじめ・体罰問題が長く論議されながら、なかなか克服されない一因は議論が混乱し、空回りするような「言葉の使い方」や「問題の立て方」の乱雑さにもある。議論を整理しなおすとともに、学校と子ども・保護者の信頼関係を取り戻すような努力を進めていくことが必要である。

 教育には児童生徒として、教師として、保護者として、教育行政家として、納税者としてなど多くのかかわり方がある。一つの立場から一方的に考えるのではなく、全体を見通して調整を図るような考え方が必要とされるのだが、著者は教育学者として、かつては児童生徒であった経験、大学での教職を通じての経験、保護者としての経験などを統合して学校臨床社会学という新しい領域を開拓し、いじめと体罰の問題に取り組もうとしているようである。それが具体的にどのようなものかについて、次回以降検討を加えていきたいと思う。
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