今野真二『辞書からみた日本語の歴史』(2)

10月15日(水)雨が降ったりやんだり

 今回は、室町時代の辞書を取り上げた第2章と江戸時代の辞書を取り上げた第3章について論評するつもりである。

 日本語の歴史を考える際に、平安時代までの古代語と、江戸時代からの近代語とに分けて考えることがある。その場合、鎌倉時代と室町時代はこのような言語の変化の過渡期とされる。「その時代に生きて、日本語を使っていた人々はどのくらいそのことを意識できたろうか。はっきりと意識できなかったとしても、自分たちが今つかっている日本語と古代語とは少し違うというようなことには気づき始めていたのではないだろうか」(54ページ)と今野さんは言う。

 このような変化の中で、この時代は人々が漢字や漢語を理解して使うということを重んじながらも、少しずつ和語に、また特に自分たちが今つかっている日本語に関心をもち向き始めていた時代でもあった。平安時代の辞書と違って、和語が見出し項目を構成するようになっているところにこのような関心が現われている。さらにこの時代は識字層が拡大した時代でもあった。そうなると辞書の「使い手」も増えてくることになる。そこで、誰かが所持している辞書を写すということが盛んにおこなわれるようになる。これもまたこの時代の特色であった。

 今野さんは室町時代を代表する辞書として『下学集』『節用集』『和玉篇(わごくへん)』の3つを挙げて、この書物では『下学集』と『節用集』だけを取り上げるという(『和玉篇』が省かれている理由は記されていない)。特に重要なのは『節用集』であるが、この辞書は『下学集』を下敷きにして作られたと考えられるので、まず『下学集』について取り上げるという。

 『下学集』は、論語の「下学して上達す(初歩的なことから学んで、だんだんと高度な道理にたどりつく)から採られており、初学者用の辞書として編纂されている。作り手はおそらく京都の建仁寺とか東福寺とかの僧侶ではないかと推測される。やはり意義分類をした辞典で天地門・時節門・人名門・草木門などの18の門に見出し項目を分類して収めている。見出し項目は漢字で書かれた語句である。中には見出しだけで、注が付けられていない語句もあるが、これはもともとこの書物が読書の際の抜書きに起源をもっているからであると今野さんは考えている。その一方で、管と菅のように間違いやすい文字を2字ずつ組み合わせて、その違いを説明した「点画少異字」という付録がついているものもあるようである。

 『節用集』も漢字で書かれた語句を見出し項目としている。今野さんは、語句が頭文字をもとにいろは配列され、その後で、意義分類により整理されているというこの辞書の特徴について書いていない。(70-71ページに紹介されている写本の写真を見るとこの辞書の見出し項目の配列のやり方がよく分かる。) 漢字で書かれた語句を見出し項目にしているとはいっても、和語も見出し項目に選ばれている。「これは漢語や漢字を理解することが最重要課題といってもよいような時代から、言語の観察が日本語全体に及び始めていることを窺わせる点で、注目しておきたい事柄である」(69ページ)と今野さんは指摘している。『節用集』は『下学集』よりもさらに、注が付けられていない語句が多くなっているが、これは読んだ本の中にその語句が出てきたことを確認するために辞書が作られていることを意味するという。そして、『節用集』はそれをもっている読者が自分の読書に基づいて「増補」していくような、いわば開かれた辞書であった。実際に現在残っている写本には所持者による書入れがみられるのである。また、例えば不審という語句について、この漢字を使いながら、「いぶかし」という和語と、「フシン」という漢語とを共に見出しとして立てるというようなやり方をしている。このことによって、辞書が作られた時代の言語状況を推測することができる。

 このようにして書き写されていく辞書は、手作りの、持ち主1人1人の読書経験と個性が出た辞書となる。このような事態が変化するのは江戸時代になって、印刷が盛んになり、辞書もまた印刷した大量に刊行されるようになってからのことである。

 江戸時代になると古代語から近代語への移行はほぼ終わる。そのことによって「今、ここで」使っている日本語とは異なる日本語=古代語が意識されるようになる。それは日本語ではない言語との接触によって、日本語という言語の意識が鮮明になるのと同じようなものであると今野さんは言う。

 ただし、古代の話しことばは後世に伝わらず、残されているのは書きことばだけである。過去の書きことばと対比することで、現在の自分たちが使っている話しことばがそこから離れている距離が実感されるようになった。そこで一方では、現在の自分たちが使っている話しことばの辞典をつくろうとする試みが生まれた。

 太田全斎(1759-1829)によって編集された『俚言集覧』という辞書は江戸時代には写本として流通していたが、明治になってから『増補俚言集覧』として出版され、その複製版もさらに出版されている。また全斎の自筆稿本が国立国会図書館に所蔵されており、それに基づいた影印本も現在では出版されているという。成立の過程で多くの人々がかかわったことが今日推測されている。編集者たちが「俚言」として辞書に収めている語句はかなり雑多なものであるが、それだけに編集された当時の話し言葉の様相を知るための貴重な資料源となっている。

 『雅言集覧』は狂歌師として知られる石川雅望(1753-1830、狂号宿屋飯盛)が編集したものである。雅望は狂歌をよくする傍ら、古典中国語だけでなく明代の通俗小説の中でつかわれる「白話」にも通じ、他方国学の造詣も深かった。この辞書は古語の用例集という趣をもち、平安時代の仮名文学を中心に上代や中世の文献からも語彙を集め、17,000あまりの見出し項目をいろは順に配列して平仮名書きで示し、出典名と用例を示している。その一方で語釈を施されている見出し項目は少ないという。今野さんはこの辞書を一つの到達として評価すべきであるとしながら、古代にも書きことばと話しことばがあったことを踏まえて、辞書の全体をなす雅俗の考え方をさらに掘り下げていくべきであると示唆している。

 『和訓栞』は谷川士清(ことすが、1709-1776)の編纂した辞書で、見出し項目をすべて平仮名で表記している。この辞書において初めて、漢字・漢語から独立した日本語の辞書ができたと言える。とはいうものの、漢字について無関心であるわけではなく、語釈において漢字・漢語とのかかわりが触れられている例が少なくない。また見出し項目の第2音節まで五十音による配列をしており、その意味でも現代の国語辞典の先駆けをなす著作といえよう。さらにこの辞書について重点的に述べた付録である「大綱」に盛り込まれた谷川の言語間には注目すべき内容が含まれていて、見過ごすことができない。

 江戸時代は、「今、ここ」でつかわれている日本語と、昔の日本語との違いにはっきり気づくようになった時代であり、そのことが日本語をめぐる多くの研究・著作を生み出し、その一端が辞書に現れているだけでなく、そのような読み書きと言語への関心が印刷の普及によってこれまでになく広い範囲に広がった時代でもあったとして第3章は結ばれている。

 国語(日本語)研究を進めていくうえで、江戸時代の学者の研究を掘り起こしてみることはかなり重要な作業ではないかと思っているので、著者の意見には賛同する点が多い。話を前に戻すが、『節用集』について、江戸=明治期の学者である森立之(枳園と号す、1807-85)がもっていたことから「枳園本」と呼ばれる写本の話が出てきて、枳園が森鴎外の史伝で知られる伊沢蘭軒の弟子であるというような記述があり、さらにこの写本がある縁によって大槻文彦の手にわたった(現在は天理大学図書館像)というような話も出てきて、本題を離れたところでもなかなか読み応えがあるのである。

 その大槻文彦を主要な登場人物とする明治期の辞書の話をまとめた第4章が残ってしまったが、できるだけ早くまとめていくつもりである。そういえば、今野さんの『言海』をめぐる著作についての論評も完成させなければならない。こちらも鋭意取り組んでいきたい。それではまた。 
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