夜明け前

10月10日(金)曇り

 神保町シアターで「生誕100年記念 宇野重吉と民藝の名優たち」の特集上映の中の『夜明け前』を見た。島崎藤村が1929(昭和4)年から1935年にかけて『中央公論』に断続的に連載し、後に新潮社から第1部(1932)、、第2部(1935)の2部にまとめられて出版された長編小説の映画化である。この映画に主演している滝沢修と解説(語り手)と謙吉役を演じている宇野重吉が中心となって運営されていた劇団民芸と、映画の脚本を書いた新藤兼人、監督をしている吉村公三郎、主人公の娘お粂を演じている乙羽信子、そして製作に加わっている絲屋久雄が結成した近代映画協会の協力によって1953年の芸術祭参加作品として作られた作品である。原作の前半は1934年に村山知義によって脚色され、久保栄演出で新協劇団によって舞台劇として上演されている。この時の演出を継承して戦後民芸が上演した舞台を1964年に見ている。その後、原作を読み、今、映画化された作品を観た。原作は多様な要素を含む複雑な作品であるが、映画はその長大で複雑な作品を簡潔にまとめ、日本の近代化の内包していた矛盾について問いかける内容となっている。

 中山道(木曽街道)の宿場町であった馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる青山家の跡取りとして生まれた半蔵は、学問好きで平田派の国学を学ぶ一方、山村の厳しい環境の中で農民たちが苦しい生活を送るだけでなく、領主である尾張藩から収奪と抑圧を受けていることに心を痛め、幕府を倒して新しい政府ができれば、農民たちの暮らしが楽になると考えている。彼は別の本陣の娘であるお民と結婚し、子どもたちが生まれ、やがて家督を継ぐが、その周辺で世の中はめまぐるしく変わっていく。御一新の世になっても、農民たちの生活が改善しないことを知った半蔵の失望は大きい。世の中の変化の中で、彼が信奉する平田派の国学は文明開化の流れに圧倒されていく。

 島崎藤村が彼の父親をモデルにして描きだした原作は日本の近代化の問題点を、家族史、地域史という視点から掘り下げていると言える(ほかにもこの作品の特徴はあるのだが、この映画化ではこの側面が強調されている)。半蔵と同じような上層農民の青年の事例を引き合いに出して、彼の経験の狭さ、それゆえの視野の狭さが悲劇をもたらしたのだと論じることは簡単である。尊王攘夷の思想をもっていた若き日の渋沢栄一は、ふとした出会いから徳川慶喜の家来に取り立てられ、人生が一変する。なんらかの経験を通して攘夷から開国へと考えを変えた同時代人は少なくない。その中で半蔵が平田国学に固執したのはなぜか。

 国学史家によると、国学には主として武士によって学ばれた津和野国学と、草莽の人々によって学ばれた平田国学があったという。半蔵は若いころから平田国学を学んだだけでなく、山間の人々の貧しく苦しい暮らしを見続け、さらに武士による民衆への抑圧を目の当たりにしていたことから、余計に平田国学にのめり込んでいったのであろう。映画は木曽に暮らす人々の暮らしの厳しさ、尾張藩による支配の過酷さを繰り返し強調して描く。

 とはいうものの、半蔵が国学以外の思想に触れる機会があってもよかったのではないか。彼が自分の学問の祖と仰ぐ本居宣長にしても医者であり、漢学も学んでいて、それなりの視野の広さと、思想的な柔軟性・現実性は備えていた。平田篤胤にしても、その知的好奇心は同時代の水準をはるかに超えて、例えば道教の教義に詳しかったと言われる。半蔵は江戸・東京を訪れたり、同学の人々と交流したことが、必ずしも視野を広げることにならなかったのが彼の不幸だとは言える。

 原作は舞台を木曽に限定せず、江戸や横須賀における半蔵の行動を記しているのだが、映画は木曽に舞台を限定することによって半蔵の思想的な限界を示そうとしているように思われる。その一方で、半蔵が妻のお民や娘のお粂に対して、女は家のことだけにかかわっていればよいと言って、自分の職務や学問上の考えを伝えようとしないのは、明らかに否定面として描かれている。この点が脚本と演出の特徴的な点ではないかと思う。お民もお粂も半蔵への愛情をもつ一方で、自分なりの積極性を発揮して半蔵を助けようとしているのだが、それを半蔵は理解しようとしない。母であるおまんの人生経験に基づく常識も半蔵は無視しようとする。学問が空回りしているのが悲劇的である。

 原作で半蔵は江戸に赴いた折に、自分の遠い親戚がいるということで横須賀の公郷に赴くという場面がある。私が中学・高校生のころに京浜急行を利用して通学していたのだが、公郷という駅があった。今は県立大学前とか何とかいう名前に変わっているようである。

 大学に入った年に、京都労演の例会で民芸の『夜明け前』を見た。お民を演じている吉行和子さんが婚礼の場面で舞台に背を向けて座っていて、酒に酔った客の一人が踊りを踊るのにつれて視線を動かし、やがて観客席の方に顔を見せるという演出は、久保栄のプランをそのまま継承したものだという話であった。これは舞台だからこその演出で、映画でやってみたらつまらない。とはいうものの、この映画化では(繰り返しになるが)舞台を木曽に限定するなどの演劇的な作り方をして、長大な物語を巧みにまとめているが、原作の持っている内容はかなり雑多なもので、もっと別のまとめ方もできるかもしれないと考えている。しかし、伝統的な景観の多くが失われている今日、『夜明け前』の再映画化はますます困難になっていると言わざるを得ない。

 ラジオのまいにちフランス語の時間でかつて放送された(現在でも時々再放送される)『映画の話をしよう』の中で、今は亡き梅本洋一さんが、プログラム・ピクチャーをとりながら、その中で独特の個性を発揮している監督の話を始めたところ、ゲストのフランス人女性が吉村公三郎の名を挙げたのは、明らかに無知による誤解であった。吉村は確かに本ブログで取り上げた『夜の蝶』のようなプログラム・ピクチャーをとってはいるが、すでに述べたように新藤兼人とともに近代映協をえた独立プロの担い手の1人であった。メジャーな映画会社の傘下でプログラム・ピクチャーをとりながらも映画の可能性を探るのと、独立プロで自分の主張を貫こうとするのと、どちらが映画作家として正しい方向性だなどという議論をするつもりはない。どのような製作の過程を辿ったにせよ、できた作品が優れたものであれば、いいのである。とはいうものの作家の努力の方向については、正しく理解していただきたい。吉村監督については、知らないことがまだまだ多いのだが、季節の花を使って時間の推移を表現する手法は得意とするところではないかと思われ、この作品がカラーでなかったことを惜しんでいる。(劇場側では、上映のために使用するプリントが痛んでいることについての理解を求めていたが、それほど見苦しいものではなかったことを書き添えておく。)
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