ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(11)

10月8日(水)晴れ後曇り

深く切り立った崖の突端から
砕けた大岩塊が縁上に崩落していくその縁、
つまり、私たちはさらに酷い呵責がひしめく場所の上に来た。

そしてここで、限度を超えた凄まじい
悪臭が深淵の奈落から放たれているために、
私たちがあとずさって身を寄せたのは、ある大きな墓の

蓋の陰だった。そこで私が見た書きつけは
こう言っていた。「我、教皇アナスタシウスを収監す。・・・」
(166ページ)

 ウェルギリウスに導かれてダンテが訪れた地獄の第6圏は異端者たちが蓋の空いた棺の中に入れられ、悪臭を放っていたが、第10歌の終わりで、世俗の指導者である神聖ローマ帝国の皇帝と、教会の教皇に次ぐ高位聖職者である枢機卿がその中にいると述べていた。この第11歌では、今度は教会の指導者である教皇の1人が地獄に落ちているという場面を設けている。地獄に落ちているとされる教皇アナスタシウスⅡ世は東方教会との争いの中で、異端のアカイア派に対して妥協的な政策をとった5世紀末の人物であるが、ダンテはこのことによって彼の時代の教会が政敵を陥れるために異端の宣伝を行っていたことを批判しているのである。彼は教会の中にすくう俗悪な聖職者たちを批判するが、教会自体を批判しようとしているわけではない。

 ダンテに向かってウェルギリウスはこれから2人が旅する地獄の区分、それに対応する罪と罰とを説明する。地獄の第7圏は、3つの小圏に分かれており、暴力の罪を犯したものが収容されている。

神に対し、己自身に対し、他人に対し
詳細に言うと、直接であれ、その所有物に対してであれ、
これからおまえが明快な哲学的議論で聞くように、暴力の行使が可能である。

暴力によるし、あるいは苦しみに満ちた負傷が
他人にもたらされる。またその所有物に対しては
破壊、焼失、破滅的な略奪がもたらされる。

それゆえ、殺戮者や刃傷沙汰を起こした輩、
略奪者や泥棒、それら全員を
それぞれの集団ごとに第1番目の小圏は苦しめる。
(169ページ) ここでダンテは暴君や都市を略奪する小領主、殺人者、強盗などをその対象として描きだしている。

さらに
人は暴力の手を己自身に対して上げることも、
また己の所有物に対して上げることもできる。それゆえ第二の
小圏でただ虚しく罰を受けねばならぬのは、

誰であれ、お前たちの世界から己自身を奪った輩、
己の財産を博打ですり減らしてしまい,
喜ぶべきであった富を失い、地上で嘆き悲しむ輩全員である。
(170ページ)として、自殺者や自らの富を浪費・蕩尽したものをこの第2小圏においている。

暴力は、心のうちで否定し罵ることで、
また自然やその恵を侮蔑することで、
神に対しても行使することが可能である。

それゆえに最小の小圏は
ソドムの輩、カオールの輩、
心のうちで神を嘲りそれを口にする輩にその烙印を押す。
(同上) 3つの小圏のうちでもっとも地獄の深いところにある(深くなればなるほど面積は小さくなる)第3小圏は「ソドムの輩」=男色者、「カオールの輩」=高利貸が置かれている。彼らが神をののしり、自然に反する行為をしたことで暴力者とみなされるというのは少し無理があるようにも思われる。

続いてウェルギリウスは第8圏について
欺きとは、あらゆる良心を侵蝕するものだが、
人は自分を信じてくれている相手に対しても、
信頼が宿る特別な間柄ではない相手に対してもそれを行使できる。

この後者の欺き方が打ち砕いているのは、
人類特有の性質がなす愛の通路だけなのは明らかである。
それゆえここより2番目の圏に巣食うのは、

偽善、媚びへつらい、魔法魔術をこととする輩、
贋金作り、盗み、聖職売買、
女衒、汚職、他にもそれに劣らず汚れた輩である。
(170-171ページ)として、他人を欺いた人々がここにおかれると説明している。

 そして地獄の最も奥にある第9圏では、人間特有の愛と信頼、特に肉親、同朋、客人たちなどとの絆を裏切った人々が置かれるという。

 神によりくわえられる罰の違いにまだ納得のいかないダンテにウェルギリウスはアリストテレスにより書かれ、トマス・アクィナスによって注解された『二コマコス倫理学』の中で、「無抑制」、「悪意」、「狂った獣性」について論じられている部分を思い出せという。このあたりについての解釈はわかれていて、ダンテの真意はわからないらしいが、罪の背後にある心意の在り方によって罰が違ってくるというふうに受け取っておこう。

 さらにウェルギリウスは言う:
「哲学は…それを解する者に、
・・・
神の知性とその大いなる御業から

どのような道筋を自然がたどるのか。」
(175ページ) こうして彼は自然と労働が大切であることを強調した後、

けれども今は私に続け、もはや進もう。
魚座は水平線の上を跳ね、
大熊座は全身を北西の風カウルスの吹く場所に横たえている。

そして崖はもっと離れた場所で降りねばならぬのだ」。
(176ページ)と道を急ぐ。星座の位置から、時刻=4月9日午前4時が示され、改めて地上の自然が思い出されているが、ダンテにはまだ多くの、旅の中で観るべきものが残されている。 

 今回の箇所は、道徳や法律にかかわる議論が多く含まれ、読み応えがあるだけでなく、ダンテの思想をうかがううえでも重要な部分ではないかと思う。彼が中世的に解釈されたアリストテレス哲学に依拠しながら議論を進めていく一方で、イスラーム文化と思想の影響も見られると研究者によって指摘されていることも書き添えておく必要があるだろう。
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