諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学、消える大学』(10)

10月3日(金)晴れ
 
 第5章「キーワードは『多様性』と『リベラルアーツ』」の続きの部分をみていく。鈴木さんは「20世紀の産業社会では、大量生産に適する同質の人材を輩出する必要がありました。それには、今の一般の大学のような専門学部を持つシステムが合っていたのでしょう。私はそういう『専門学部による均一性のある専門知識の育成』をすでに説明したように『人工植林型』教育と呼んでいるのです。…社会科学系の学部卒ならば銀行とかサービス業、自然科学系の学部卒ならばメーカーというふうに最初からコースを決められて育成され、そして終身雇用制の中で単線型の人生を歩む人が多かった」(194ページ)。これを受けて諸星さんが「しかし、時代は価値観が多様化し、グローバル化が進むという様相を呈するようになってきました」(同上)という。さらに鈴木さんが引き取って「そういった多様化が進むとともに、通信・情報技術の驚異的な発達によって『自分のいる場所が世界の中心になる』という現実があります」(同上)と変化の性格を要約する。現代の大学を取り巻く環境の変化をこのようにまとめてよいのかということに疑問を持つ方もいらっしゃるだろうと思う。

 すでに何度か指摘してきたように、この本は学生を送り出す大学人の側から書かれており、大学を受け入れる側の企業の意見がほとんど反映されていない。学生の就職をめぐる統計的な事実の具体的な分析もされておらず、すべての議論が対談者の普通よりは広いかもしれないが、個人的な経験と印象とから導き出されている。例えば、価値観が多様化したということが強調されているが、昨今の日本社会の「右傾化」の傾向をどのようにみるのか、それに対抗する言説が何か抑圧されているような印象がある中で、「価値観の多様化」ということができるのであろうか。

 とにかく、「個人vs世界」という構図の中に自分がいることを学生たちに認識させて、強い個人を作り上げることがこれからの大学の使命だと論じる。そのためには、従来の「人工植林型」ではない、「雑木林型」の教育が必要であり、リベラルアーツ重視の教育こそがそのような要請にこたえるものだと論じている。その際に特に「異文化理解の世界を踏まえた外国語のコミュニケーション能力が不可欠」(鈴木、197ページ)であるという。「異文化理解の世界を踏まえた外国語のコミュニケーション能力」というのは日本語としてこなれていない表現であるが、異文化への理解を促進するような世界に開かれたコミュニケーション能力ということであろうか。そのために「明日の日本を担うリーダーには母語、英語、それに加えてもう1つの外国語を学ぶ『3言語主義』が求められる…。そして、こうした21世紀の知的基盤社会にふさわしい学識と道義、発信力を、私たちは国際教養、インターナショナル・リベラルアーツと呼んでいる」(鈴木、197-8ページ)ともいう。これまで、一般の大学について、あるいは「中堅労働者の育成」について論じてきて、第5章に入って風向きが変わって、「明日の日本を担うリーダー」の話になってしまっているのもご都合主義である。それから、3言語主義というが、それぞれの言語についての目標が明示されないと、結局現在の日本の大学の第2外国語までを必修とする教育と同じことになってしまう。(これまでも書いてきたが、私は第2外国語必修には反対である。できるもの、やる気のある者だけが、第2外国語以下を学ぶべきで、しかもそれは、勉強したいと思った時にいつでも勉強できるというシステムにすべきである。)

 諸星さんは「グローバル化の中での科学や技術革新、イノベーションの進化や変化は、私たちの予測をはるかに超えるスピードで進んでい」(199ページ)るという。(どうでもいいが、もともとイノベーションの訳語として「技術革新」という言葉ができたのではなかったか? イノベーションは技術に限定されないものであるから、この言い方でも問題はないかもしれないが、技術や社会システムのイノベーションくらいの表現のほうがより適切だと思う。) そこで、従来型の教育を受けた人間ではついていくことができず、高度な教養教育で鍛えられた人材が必要になるのだというのである。

 ここから話は具体的になり、秋田の国際教養大学では「1年間の海外留学」を学生全員に義務付けていること、アメリカの大学とカリキュラム評価の相互協定を結んで教育内容の水準確保を図っていることなどが紹介される。特にこの大学の人里離れたところで集団寄宿生活を行うという「学内擬似留学」が効果的であるという。それはそれとして結構なことであるが、その一方で、すべての大学がこのような教育を行うように切り替えることはできないだろうし、またそうすべきではないだろうということも言える。その点について顧慮していないこと、また自分の大学のもっと具体的な教育の中身については紹介していないことなどにこの対談の限界を感じるのである。

 限界といえば、リベラルアーツを学び、その精神を身に着けたということになると、自分とは違う意見を受け入れ、そのことによって新しい意見を作り出していくことができるようになるはずであるが、諸星さんと鈴木さんは同じ方向を向いて同じようなことを話しており、お互いに対立する点がない。むしろ別の意見を持っている人と話し合って、自分の意見をもっと奥行きのある、現実に即したものに作り替えていく努力も必要であったのではないかという気がする。前回の終わりに、あと1回で終わらせたいというようなことを書いたが、まだ終わりまでたどり着かないので、さらに連載を続けることにすることをお許しいただきたい。
 
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