須賀敦子『霧のむこうに住みたい』(2)

9月28日(日)

 『神曲 地獄篇』第10歌を読みなおしていて、ダンテがウェルギリウスに話しかけるトスカーナ方言に、ダンテと同じくフィレンツェの人で、今は地獄の住人になってしまったファリナータが反応する個所がある。北イタリアの出身でローマの黄金時代の詩人であるウェルギリウスにダンテのトスカーナ方言が通じるかどうかのほうが問題なのだが、そんなことを気にしていたら叙事詩は書けないということであろう。

 須賀さんの『霧のむこうに住みたい』に収められているエッセーの一つ、「フィレンツェ、急がないで、歩く、街」にはフィレンツェの方言の特徴が捉えられている。「ひょいと入った裏通りにならんだ、家具の修理工房。職人さんが、白くなった安全靴をはいて、仕事をしている。若い見習いが、カの発音ができなくて、ハと言ってしまうフィレンツェ弁で、親分にどなり飛ばされている。あたりはニスやら絵具やらの匂いでいっぱい。」(77ページ)
 へえ、そうなのか、ダンテの時代のフィレンツェの方言と、現代のそれとが全く同じというわけではないだろうが、どこか似ているところはあるのだろうと思う。
 またエッセーの終わりの方ではフィレンツェには「持って帰りたい」ものがいくつもあると列挙して、「何世紀ものいじわるな知恵がいっぱいつまった、早口のフィレンツェ言葉」(81ページ)を含めている。ダンテはその「いじわるな知恵」を身につけはじめた最初のほうの人物ということになるのだろうが、地獄で早口でしゃべっていたのだろうか。

 「ミラノの季節」という文章では、11月ごろから立ち込めることになるミラノの霧について書かれている:
「が、この頃ともなると、霧の多いミラノは、空港が閉ざされる日が多くなる。ミラノの南を流れるポー川にむかって網目のように掘られた灌漑用の水路が縦横に走る低地帯(バッサ)から、霧は匍うように上がってくる。霧の深い日は、朝、目がさめたとき、窓の外の自動車の音が、いつもより鈍くなっているので、床の中から、もうそれとわかる。ふしぎなことに、ミラノに長く住んでいると、この霧が親しい友人のように、なつかしく思えてくる。霧がたちこめるようになると、ミラノでもっともはなやかで充実した季節がやってくるせいかもしれない」(105-6ページ)。

 須賀さんは児童文学にも造詣の深い人であり、その意味からも「ピノッキオたち」という文は興味深いものである。ピノッキオというのは、もともとジュゼッペ(英語ならジョウゼフ)の愛称で、それもフィレンツェ周辺のトスカーナ地方に特有な呼び方であり、「フィレンツェというと、日本では芸術の都みたいにいわれるけれど、その町の住人たちはイタリアでは毒舌で知られる」(156ページ)という、そういう人たちが特別な場合に使う愛称なのだそうである。
 「アンデルセンや宮澤賢治ふうの幻想的な童話にくらべると、ピノッキオの話は、勧善懲悪というのか、「いい子にならなければだめだ」という思想があまり見え見えで、すっと素直に好きにはなれない。それなのに、やっぱり忘れられないのは、あの奇妙な木彫りの人形が、遠い夢物語ではなくて、これを読む世界中の子供のひとりひとりに、徳にイタリアの子たちに、ほんとうによく似たことをしたり、考えたりするからではないか」(同上)という感想は、物語の理解に大いに役立ちそうである。原文が難しいことも書いてくれていて、今後のイタリア語の勉強の役にも立つ。イタリア人のピノッキオへの愛着、そして子どもたちのかわいさがイタリア語への愛着のきっかけになっていることなどが語られていて、印象に残る。

 学生時代、野上素一先生のイタリア文学史の授業を傍聴したことがあり、大学に務めるようになってからはイタリアへの留学経験のある同僚が複数いたというように、イタリアとの縁は浅くない方なのであるが、イタリアに強い興味を持つようになったのはやはり須賀さんの文章を読むようになってからだと思う。須賀さんが比較的早く亡くなられたのを惜しむとともに、心からご冥福をお祈りしたい(遅すぎるか…)。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR