須賀敦子『霧のむこうに住みたい』

9月27日(土)曇り

 9月26日、須賀敦子『霧のむこうに住みたい』(河出文庫)を読み終える。須賀敦子(1929-1998)の死後に、まだ本にまとめられていなかったエッセーを集めて出版された本の文庫版である。題名は、この書物の中に収められているエッセーに基づいたもので、そこではウンブリア州の山の中で出会った霧と、その山の中で暮らしている羊飼いたちが小屋の中でワインを飲んでいる姿が描きだされている。「途中、立ち寄っただけの、霧の流れる峠は忘れられない。心に残る有れた風景の中に、時々帰って住んでみるのも、わるくない」(139ページ)。著者には『ミラノ 霧の風景』という著書があるだけでなく、ミラノのほかにも多くの場所で出会った霧について書き記している。何か霧に心惹かれるものがあったようである。(なお、ウンブリア州は20あるイタリアの州の中で、唯一、外国とも、海とも接触せずに内陸部におさまっている州である。)

 誰だったか、須賀の文章を紗をかけたようなところがあると評した人がいたが、むしろ霧に覆われているというほうが適切かもしれない。とはいうものの、その霧が社会や人生の醜い部分を覆い隠すものとして使われているとは受け取りがたいところがある。著者は大学院を中退してフランスに留学し、その間イタリアに旅行してその魅力に取りつかれ、その後さらにイタリアに留学して、イタリア人と結婚し、夫と死別後に帰国、日本とイタリアを往復するようになったという経歴がある(簡単にまとめすぎているかもしれない)。「屋根裏部屋と地下の部屋で」はイタリア留学中の夏休みに過ごしたロンドンの住宅の地下に住んでいる上品な老婦人の姿が描かれているが、彼女との出会いは須賀さんがごみの捨て場が分からなくてまごまごしていたことによるものであり、「なんともちぐはぐな贈り物」では帰国後の日本で付き合っていたイタリアの商社員の男性の「豪邸」で起きた下水に大量の蛆虫が発生して水が湧き出るという珍事件が描かれている。さらに「ヤマモトさんの送別会」ではこれも日本帰国後にボランティアとして支援を行っていた廃品回収業者たちの姿が描きだされている。その他のエッセーを見ても、社会への観察眼や、社会参加への意思を明らかに読み取ることができる。

 そういう著者の文学への取り組み方を詳しく説明しているように思われるのが、この本の中で最も長く、内容的にも重みをもつ「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」である。現代イタリアを代表する作家の1人であるギンズブルグの半自伝的な小説『ある家族の会話』について、著者は「読みだしたとたんに止められなくなり、夢うつつのような気持で一気に読み上げた日々が、つい昨日のように思える」(8ページ)と記す。その後、次々に彼女の書いたものを読み続けた著者は、特にその文体に魅了される。「この作家の言語がなにか私自身のなかにある地下の水脈につながっているという印象がつよくて、読んだ瞬間から私のなかで、すでに翻訳が出来上がっているようなのであった。実際に訳したのは、出会いから16年もたってからで、技術的な困難もさることながら、初めから終りまで、ほとんど愉楽にちかい作業であった。そして、とうとう作者に会う機会を与えられたのは、その時分のことである」(61ページ)という。

 著者はそれまで翻訳にあたって原作者には会わないようにしていたと書く。自分なりの作品解釈を傷つけられたくないからであるが、その反面でやはり原作者に会いたいという気持ちもあり、たまたま知人がギンズブルグといとこということでディナーに招待してくれてあうことになったのであるという。その知人が文学者の家系に生まれていたことを初めて知り、「外国人というものが、どれほどその国のこまかい人脈や、ひだのような部分にうといかの見本のような話」(63ページ)と自嘲気味に注記しながらも、外国研究に携わるものへの貴重な示唆を与えてくれている。食卓に顔を見せた1人は文豪ピランデッロの孫の1人であった。(ピランデッロは1867年生まれであるから漱石、逍遥、露伴と同年で、そういうことを言えば、かくいう私も漱石の孫の1人と同じ中学の同じ学年に在籍していた。)

 会見を前にして著者が抱いていた不安は杞憂に過ぎず、「私はナタリアが谷崎潤一郎の作品や源氏物語の翻訳を通して、日本文学についてかなり的確な意見をもっていることを発見し、…それはそれで楽しいサロンの雰囲気を満喫できたのである」(64ページ)。

 著者が2度目にギンズブルグとあったのは、ローマのパンテオンの裏手にあるギンズブルグの住まいにおいてであった。この時の印象のかなりの部分を、著者はギンズブルグの容貌についての記述に当てているが、ギンズブルグがパゾリーニの映画『奇跡の丘』に端役で出演していることなど、興味深く読んだ(この映画を見たのはもう50年近く昔のことである)。この訪問の際に一番印象に残ったのは、しかし、ソファに寝そべっている巨大な猫であり、この猫は同じくイタリアの女流作家であったエルサ・モランテの没後貰い受けてきたエルサの飼い猫で、その名をココロといい、エルサが読んで感銘を受けた夏目漱石の『こころ』にちなんで命名されたのだという。

 3度目にあった時、ギンズブルグは社会問題に強い関心を寄せ、社会参加の本を書き、この会見の中で政治問題についても語った(彼女は上院議員でもあった)。しかし著者は何となく違和感を感じていたようである。ギンズブルグの家を辞去して、「パンテオンのほうに向って歩きながら、かつてのプルーストの翻訳者が、社会参加の本を書いてしまったことについて、私は考えをまとめかねていた。ずっと以前、友人の修道士が、宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は思い出した。文学にとっても似たことが言えるのではないか。やはり、翻訳者は著者に近づきすぎてはいけないのかもしれない。彼女には彼女の生き方があるのだし、私が訳していることとは、関係があるような、ないような、だ」(73ページ)。

 社会的な主張が込められているからといって優れた文学作品が生まれるわけではない。著者自身が社会参加に意を用いた経験があるだけに、文学と社会参加をめぐる問いかけには真剣なものがある。答えが見出しがたい問題の中で考え込む著者の心の中を描きだしているように思われるのが霧であったのかもしれない。

 須賀さんはギンズブルグの作品の中に自分の中にある「地下の水脈」とつながるものを感じたというが、私は須賀さんのエッセーの中に、自分の経験や考えとつながるものをいくつか感じて、愛読してきた。ただ、カトリックの学校でまなんだというだけでなく、カトリックの信者として社会運動に参加した須賀さんと、信者ではないままの私との距離も感じているのである。そういったことも含めて、ここで語りつくせなかったことは、また別の機会に書いていくことにしたい。
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