『太平記』(11)

9月21日(日)晴れたり曇ったり

 後醍醐天皇は倒幕の企てのために寺院勢力の協力を得ようと南都北嶺に行幸されたが、天皇の企ては鎌倉幕府の知るところとなり、天皇の側近の僧侶たちの逮捕と処分に続いて、日野資朝、俊基の処刑が決まった。正中の変以来佐渡に流されていた日野資朝が斬られたが、彼の子どもである阿新(くまわか)は父を斬った本間三郎を刺殺して仇を討った。

 倒幕計画のもう1人の中心人物である日野俊基は鎌倉に護送されていたが、地方に流刑にすることなく、そのまま処刑されることとなった。彼は法華経を600部自分で読誦するという念願をもっていたが、すでに400部を読誦していて、残りの200回を読誦するまでの命を許された。とはいうものの、読誦し終えれば刑が執行されることになる。

 俊基の郎従に後藤左衛門尉(さえもんのじょう)助光というものがいた。郎従というが、左衛門尉といえばかなり身分の高い武士である(西行が出家する前は左衛門尉であったと記憶する。時代が違うし、単なる称号かもしれないが、それでもある程度の身分であったことは確かである)ので、郎従と書かれているが、家司に近い役柄を果たしていたのではないか。俊基が捕えられてからは、北の方の身辺を守り、嵯峨の方に隠れ住んでいたが、北の方の心配を見るにつけてこのままではいけないと思い、彼女から手紙を預かって鎌倉に向かう。処刑の日が迫っていることが頭から離れないので、会う人ごとに俊基の噂を聞きながら鎌倉に到着した。

 俊基が預けられている邸の近くに宿を借りて、どのような便宜でもあればよい、事情を申し入れようと様子を見ていたのだが、実現できないまま時間がたつうちに、京都からの囚人が本日処刑されるという噂が流れてきたので、あわてて出かけて様子を探ると、俊基は既に張輿と呼ばれる畳表で周囲を張った粗末な輿に乗せられ、化粧坂へと運ばれてゆく。ここで工藤次郎左衛門尉が受け取って、葛原岡に大幕を引いて、敷皮の上に敏元は座らされた。その様子を眺めて助光は言葉も出ない。

 目もくらみ、足の力もなえて、気を失いそうになったけれども助光は勇気を奮い起こして工藤の前に進み出て、自分は俊基のお側仕えのものであるが、最後のご様子を見届けに参ったので、対面を許してほしいと申し入れると、工藤も哀れに思って差し支えないと対面を許す。

 助光は、幕の内に入って俊基の前に跪き、俊基は彼の姿を見て涙にむせびうち伏す。助光が北の方の手紙を渡し、俊基は涙をぬぐいながら手紙を読むと、言葉は少ないが、夫を思う深い気持ちが記される文面が連ねられていた。俊基はなかなか読み終えることができず、周囲の人々の同情を集めた。彼は硯を求めて、その中の小刀で鬢を少し切って手紙に巻き添え、折り返し一筆書いて、助光の手に渡したので、助光はそれを懐に入れて泣き沈んだ様子はいかにも哀れに見えた。

 工藤が幕のうちに入り、このままではあまりにも遅くなると処刑を告げる。俊基は畳紙(たとうがみ)という折りたたんで懐中に入れる紙を取り出し、首の周りを押し拭い、その紙を押し開いて、辞世の頌を書いた:
 古来一句
 死もなく生も無し
 万里雲尽きて
 長江水清し
(111ページ。古来からの(経典の)一句に、死生は存在しないと説く。はるか万里の雲の尽きるところまで、長江(揚子江)の水は清く流れている。わたしの心境もそれと同じである)
 筆をおいて、鬢の髪がほつれていたのを撫で上げる時間があるかないかのうちに、太刀影が後ろに光って首は前に落ち、首を抱くような形で体が前に倒れる。助光は悲しみにくれながら、葬儀を終え、遺骨を首にかけ、手紙も身につけて京都へと上る。

 北の方は助光を待ちきれず、俊基の消息を聞こうと人目もはばからず御簾より外に出て、俊基はいつごろ帰郷するのかと問いかけてきたので、助光ははらはらと涙をこぼしてこれまでの経緯を告げ、肩身の手紙と遺骨を差し出す。北の方は驚いて、御簾のうちにも戻らず、縁に倒れ伏し、気絶しそうになる。夫を思う気持ちの強さが悲しみの様子に現れていた。北の方は葬儀を済ませて後、尼となり、助光もまた発心して高野山に籠って主人の菩提を弔った。「夫婦の契り、君臣の道、亡き跡までも忘れずして、弔ひけるこそあはれなり」(113ページ)とこの段は結ばれている。

 資朝の妻子、家来が現実的な感覚をもっていたのに比べると、俊基の妻はおっとりしているという感じがある。結婚して10年余りというから、まだ30歳に年齢は届いていないはずである。夫が倒幕の活動をしている様子をどのような気持ちで見守っていたのだろうか。また、それがどのような意味を持っているのかを考えなかったのか。ひたすらに夫の無事を祈り続けている。当時の貴族の女性の在り方の1例とみるべきであろうか。彼女の姿もまた前段の阿新とは別の意味で物語に余韻を残している。

 さて、後醍醐天皇と大塔宮、その身辺の公卿たちの運命はどうなるか。それはまた次回。
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