諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学、消える大学』(7)

9月20日(土)曇り、一時雨

 前回に引き続き、第3章「「こんな大学、来ちゃダメだよ」といわれないために」の内容を検討していく。これまで読んできたところから読み取れることは、この書物は日本の大学全体についてその近未来を予測して、それに備える改革を提言しているような題名になっているが、実際は、弱肉強食の事態が起きたときに、強い大学の餌食になりそうな弱い大学の方に議論の重点を置いているということである。より具体的に言うと、医学部や工学部をもたない、規模のそれほど大きくない、私立大学や公立大学、地方の国立大学に対しての改革の提言が主な内容であるように思える。

 これまで推奨されてきた改革の方向性は、大学が社会に対して、また学生に対して何を実現していくのかというミッションをはっきりさせること、それに基づいて相互に関連付けられた意味のある科目から構成されるカリキュラムを組んで学生をしっかり教育していく必要があること、先生方は自分たちが教育者であるという自覚をもって授業に取り組むべきであるということであろう。

 さて、大学人の意識を変え、大学を刷新するために、諸星さんと鈴木さんは「教授会に風穴を開ける」ということを提言している。大学における人事をはじめとする重要事項が学部の壁と教授会自治の中で決められているのは問題であるという。「今までずっと、長い間の習慣で、学部主導で学生たちの入学審査をし、卒業判定をやってきた。大学の入口と出口の権限を学部が握っているというのは、教授会が権力機構化していることの象徴的事象でしょう」(諸星、134ページ)という。ここでは、学部学生の入学・卒業を問題にしているが、大学の本質に即して考えようとするのであれば、学位授与権と人事の問題を取り上げるべきである。(学位授与権と人事権が教授会にあるというのは大学の本質とかかわっており、それを否定したいのであれば、高等教育の二元化というようなより高所からの改革を考えるべきである。)

 お二人は大学の教授会の守旧性を改革の障害として目の敵にしているが、それは大学の個性の問題ではなかろうか。東京の都心部に本拠のあった大学の多くが郊外に移転していく中で、明治大学は教授会の議論がいつまでたってもまとまらず、移転しなかったために、かえってほかの大学よりも人気を集めることになったという半分笑い話のような話があるが、学長が強い指導性をもって改革した大学がいいか、教授会が強い力を持っている旧態依然とした大学がいいかは、結局のところ、市場原理で決まっていくことで、それも個々の大学の様々な条件が左右するだろうから、一般化しがたい問題ではなかろうか。

 次に大学の学部間の壁の問題が取り上げられているが、これも相対的なもののように思われる。私が大学に入ったのはもう50年も前のことであるが、同じサークルの農学部の先輩が農学部のたぶん農芸化学だと思うが、薬学部と共通の授業が多く、薬学部は当時でも女子学生が多かったので、授業に出るだけで楽しいという話をしていたのを記憶する。他にも学部間で共通の授業というのは行われていたのではなかろうか。たしかに単位の互換制度など、現在ほど整備はされていなかったとはいうものの、全く大学間、学部間の交流がないわけではなかった。

 学部の壁ということで、お二人が問題にしていることの1つは、日本の多くの大学で入学時に専門が決まってしまうということである。「普通の高校生が、「経済学志望」と言ったとしても、経済学とは何かわかっているわけではないでしょう。経済学部に進んで「こういう学説の勉強がしたい」と思っているのでしょうか」(諸星、138ページ)というのは確かにその通りである。1980年代ごろに経済学部の人気がかなりあって、たぶん、経済学部だったら就職に有利だというのがその主な理由であったという時期があった(まだ、経済学部の中でマルクス経済学が有力で、経済学部では卒業式の日に、「大学で勉強したことはみんな忘れてくれ」といっているという噂もあった。真偽のほどは定かではない)。

 諸星さんはさらにアメリカのリベラル・アーツ・カレッジの例を引き合いに出して、「専門学部に進む時点で統計を取ると、非常に面白い数字が出ます。たとえば、1年の入学時のアンケートでは心理学をやりたいとか、経済学をやりたいと書いていた学生の実に7割以上がその方向には進んでいない」(139ページ)という。これは教養課程でしっかり学生を教育しているための現象で、日本の大学で必ずしもそうなるとは限らない。もちろん、入学時に専門を決めさせておいて、その後、しっかりした教養教育をせずにほったらかしにしておくのがよいなどと主張するつもりはない。

 それから「専門バカになるな」という議論になるが、どのような分野にも共通して必要とされるような基礎的な知識・能力を見につける必要があるという話で終わっていて、副専攻制の導入というようなより積極的な話題は出てこない。鈴木さんは、コース・ナンバリングの必要性ということを言っていて、これは授業が初級・中級・上級というような段階性をもって構想されているやり方である。諸星さんも日本の大学の欠点の1つは授業がバイキング式に並べられていることだという意見から賛同しているが、もう少し視野を広げて、高校での履修科目や大学受験の際の選択科目の問題も考え、日本史について十分な知識をもっていると思われる学生についてはさらに通史を履修させるというのではなく、教養科目として日本史ⅡとかⅢを履修してもよいようにする。通史ではなく、特定の時代史や方法論、あるいは本地垂迹説とか心学というような特殊なテーマについての授業でも教養科目として開講したり、専門の授業を振り替えたりということを考えていった方が学ぶ方も面白いのではなかろうか。

 最後に、オープン・キャンパスなどに参加するのもよいが、大学の普段の姿を見る、学生食堂で現役学生の話を聞いたり、授業風景を覗いたりすると、その大学の実態が分かるのではないかと勧めている。もっとも大学の中には入構を厳しく制限しているところもあるから、そのあたりのことも含めて入学希望者としては対策を考えた方がよいかもしれない。

 ということで、依然としてお二人の意見には賛同できる部分と、できない部分とがあるけれども、何度も書いているように念頭に置いている大学のイメージの違いということが大きいのではないかと思う。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR