『祖谷物語 おくのひと』と『水の声を聞く』

9月19日(金)曇り

 9月17日にオーディトリウム渋谷で山本政志監督の『水の声を聞く』を、9月19日にシネマ・ジャックで蔦哲一朗監督の『祖谷物語 おくのひと』を見る。この2つの作品はそれぞれ単独で批評するだけの内容をもっているとは思うが、ここでまとめて取り上げるのは、共通する部分が少なくないし、その部分が重要だと思うからである。

 『祖谷物語』の舞台は四国の山奥の、平家の落人の伝説のある集落であり、多くの人たちが山から下りて生活をしている(さらに都会に出て生活をしている、しようとしている)中で、山の中に留まって猟をしたり、木を伐ったり、畑を耕したりして生活している老人と、母親が山中の事故で死んだために引き取って面倒を見ている女子高生に焦点が当てられている。東京から自給自足の生活を夢みてやってきた青年と、老人の昔からのなじみの老婆が物語に絡む。特に老婆がさみしさを紛らわすために作っているぬいぐるみの人形たちが物語の進行の中で思いがけない役割を果たすことになる。

 『水の声を聞け』の主な舞台は東京・新宿のコリアンタウンで、祖母が済州島からやってきた在日三世のミンジョンは友人の美奈の誘いに乗って占いを始めるがこれが大当たりして、今度は巫女を始める。彼女の祖母は済州島で巫女をしていたので、霊能者の血筋が彼女には流れているらしいのである。借金取りに追われる父親、彼を追いかける人々、ミンジョンを新興宗教の教祖に祭り上げて一儲けを企む広告代理店の男、救済を求める人々、彼女のもとに多くの人々が集まってくる。彼女は簡単に巫女をやめられない状況に陥り、その中で自分の中の霊能の根源を求めて苦しむ。

 一方は山奥、他方が都会が主な舞台ではあるが、その両者が簡単に交流できる時代の姿、そしてその中での自然の持っている治癒力とが取り上げられている点は共通している。『祖谷物語』では水と生活の結びつき、汚染と浄化の問題が取り上げられ、『水の声を聞け』では水が新興宗教のシンボルのような役割を与えられていることが注目される。また『祖谷物語』では生活の向上の名のもとに自然を破壊する開発事業と、それに反対する人々(外国人が主体である)の姿も描かれている。外国人の声だからといって、国土の開発の中で無視していいという時代ではなくなってきている。都会も、山奥もいつの間にかグローバライゼーションの中で変貌しようとしているのである。

 宗教は人間の経験を超えたところから生き方の規範を示そうとするが、人間の生き方は飽くまでも経験できる世界の知恵に基づくべきだとする考え方もある。ミンジョンが霊能者としての道を究めようと宗教的な実存の錬磨に努力する一方で、彼女の身近な人々の生活は彼女の視界からは置き去りにされてゆくようにも思われる。『祖谷物語』の老人は、木や岩のように生きていて、何も言わず、語らない。それが何かの言葉や考えを伝えているようにも思えるが、伝えられないものもあるようである。その彼が毎朝お参りしている山のお堂には、どのような霊が宿っているのか、あるいはいないのか。謎も大きい。どうや祠は都会のビルの屋上にもつくられていることがあるが、それは山の中のお堂と同じ霊性を人々に与えるのであろうか。

 両作品とも登場人物の日常生活を客観的に描いていくのだが、いつの間にか幻想が紛れ込む。この傾向は、より客観的に生活を描いているような作り方をしている『祖谷物語』の方に顕著にみられるというのが奇妙である。実際に現代の日本の環境問題の抱えている深刻さは、ファンタジーをまぶさないと考えられないほどであるということであろうか。写実と幻想とが十分に整理されずに映像として出てくることは、両作品がともに、あまりにも多くの素材を未消化・未整理のままに映像化していることと無関係ではなさそうである。それぞれ、現実の問題に取り組む努力の新鮮さは評価できるのだけれども、それをもう少し整理してほしかったという印象が残ってしまう。
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