諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学、消える大学』(5)

9月14日(日)晴れ

 この本の著者である諸星さん、鈴木さんはこれまでしきりに大学がミッションをもつべきであることを強調されてきた。そのこと自体に異論はないのだが、そのミッションのとらえ方に違和感を感じる。お2人は私立の文科系の大学で教職歴を重ねられてきたが、グローバルな視野でみて日本の大学を判断する際に重要なのは国立の理科系、医療系の学部と工学系の学部における研究・教育である。

 私が15年ほど前に英国に行った際に、向こうの大学では大学人が政府の高等教育政策に反対して盛んに抗議行動をしていた。その際に強調されていたのは、大学は医療関係者、エンジニア、教師、ソーシャル・ワーカーなどの養成を通じて社会に貢献してきたではないか、それを切り捨てるというのはどういうことだということである。つまり大学というのは公共性をもつ専門職の養成という使命があったはずだが、そのあたりの議論がこれまでのところでは抜け落ちていたように思われる。それから、ある人々は主張するだろうが、このような専門職養成の大学という考え方は少し古くなってきている。情報化社会、知識社会においてはもっと新しい使命が考えられてよいはずである。このあたりの議論も十分とは言えない。以上、私がこの本の紹介でわだかまりがあると書いたことが少し具体的に表現できるようになってきたので、そのことを知るして、また本文の検討に戻りたい。

 諸星さんはミッションがあってこそ、しっかりとしたカリキュラムの構成が可能になるという。「その大学としてのきちんとしたカリキュラムがないから、学生にマッチした授業ができていないということになります。社会の中堅労働力を育成するような大学で旧帝国大学系のようなカリキュラム編成をして、その中で相変わらず自分は研究者、学者だと思い込んでいる先生が、自分の授業など学生が聞いていようがいまいが関係ないというような、十年一日のごとき授業をやっていて、一体どうなるんですか」(90-91ページ)。ここで「中堅労働力」というところが気になるところで、そういう大学もあるだろうが、こちらはもう少し上の「専門職養成」の大学を念頭に置いているということである。

 これを受けて鈴木さんは「カリキュラムと授業の進め方の具体的な方策として『シラバス』導入の勧めも文科省から要請されるようになりました。アメリカの大学では当たり前のシステムでしたが、7,8年前の日本ではシラバスという言葉自体がまだあまりなじみがなかったかもしれません。あるいは、言葉としては知っていても、実際にやってみようかという大学教員がどれほどいたのでしょうか」(91ページ)という。「7,8年前」というが、医療系の大学・短大などではもっと早い時期からやっていたというのが、この種の学校の非常勤講師をしてきた経験から言える。ただし、授業の内容は明示しても、なぜそのようなことを教えるのか、またそれが将来の職業生活等の中でどのように生かされていくのかというようなところまでは示されないところがあったとは思う。私自身も授業についてはかなり計画的に実施していたつもりで、評価の方針なども明らかにしていたが、それが全体的な意思統一のないままに一人で勝手にやっていたというのは問題であったかもしれない。いずれにしても、こういう風な授業をして、こういう方向に学生の経験を積み重ねて、こういう人材の育成を目指しますよ、そのためにこういう勉強をしてください、こういう風に評価しますよという一連のはっきりした流れを作ることが求められるというのである。

 ただし、2つほど例外を留保しておく必要があるだろう。1つはウィットゲンシュタインがケンブリッジで行った講義のように天才的な学者が創造的な学説を展開するような授業の場合で、彼はぶっつけ本番でしゃべっていたらしいが、そういう可能性も残しておいた方がいい。実際に授業をやってみると、新しい問題が出てきて、なかなか講義が進まないこともありうる。特に学問研究の最前線にあるような場合はなおさらのことである。以前に当ブログでも書いたことがあるかもしれないが、京大の理学部で量子論の授業を聴きに行ったら、前年度の講義が終わらずにまだ続いていたというようなことはむかし話だとは言えないのではないか。まあ、こういうのは大学院レヴェルの話で、学部で心配することではないかもしれない。もう1つは、大学の授業がすべて自動車学校式に、1段階で習得する知識やスキルが決められていて、それを積み重ねていくというやり方でいいのかということである。中には話を聞くだけでいい授業、学生にとって何か心に残るものがあればそれでいい授業というのもいくつか用意されていていいのではないか。この点も考えるべきだろう。

 諸星さんは、「ミッションは一度決めたら不変のものではありません。時代に合わせて柔軟に変えていくべきである」(95ページ)とも説明している。大学のカリキュラムもミッションに合わせてどんどん変えていくべきである。特にこの問題が地方国立大学に即して語られているが、都道府県の境界を超えた大学間の連携などの提言はあるとはいうものの、現状についての具体的な分析がしっかりと展開されているわけではないので、説得力を欠く。地域医療や経済の問題に対して、大学がどのように対応できているのか、いないのかが示されないと、抽象論になってしまう。著者たちの経歴を考えても、まあそういうことを言うのはわかっていると、国立大学の先生方からあしらわれる恐れがある。最初の方で述べたが、グローバル化だけでなく、情報社会とか、知識社会に向けての大学のミッションということでの理論武装が必要ではなかろうか。

 第2章で手こずってしまったが、次回から第3章を取り上げることにしたい。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR