田丸公美子『シモネッタのアマルコルド』

9月12日(金)晴れ後曇り

 田丸公美子『シモネッタのアマルコルド』(文春文庫)を読み終える。40年以上にわたりイタリア語通訳・翻訳の仕事に携わって活躍してきた著者の様々な思い出を集めたエッセー集。シモネッタというのは今は亡きロシア語通訳の米原万里が著者につけたあだ名で、スペイン語通訳の横田佐知子さんのガセネッタというのと対をなす。シモネッタ⇔下ネタ、ガセネッタ⇔がせねたというわけである。ガセネッタというスペイン女性の名前があるかどうかは知らないが、シモネッタという名前のイタリア人女性としてはシモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ(1453-1476)という絶世というか、歴史を突き抜けたような美人が知られている。ボッティチェッリの『ウェーヌスの誕生』のモデルと長く言われてきた女性である。丸紅コレクションの展示会で、ボッティチェッリの書いた彼女の肖像画を見て感激したことを思い出す。芸術家の霊感を刺激することによって薄命ながらその美しさを長く伝えることになった美女の一人である。

 「アマルコルド」は「フェデリコ・フェリーニの有名な映画のタイトルで、『私は覚えている』という意味のロマーニャ地方の方言だ(標準語でMi ricordo ミ・リコルド)。フェリーニの生地リミニの心象風景を幼少時の記憶を辿って描いた叙情的な作品だ」(207ページ)とあとがきに記されている(作品の背景について解説したこの後のパラグラフが面白い)。田丸さんはフェッリーニがお好きなようで、「通訳が私情で行動するのはタブー。サインは頼めない。唯一例外をつくったのが…フェデリコ・フェリーニ監督とジュリエッタ・マシーナのカップルだ。尊敬する2人に頂いたサインは、私の大切な宝物だ。ただ、残念なことに、どちらのサインなのか見分けがつかない。有名人のサインは、すぐに名前を書いておかないと、後で見直しても読めないことが多い」(129ページ)のだそうだ。

 そういうわけでこの書物は田丸さんがその通訳・ガイド人生の中で経験した様々な出来事、出会った人々の思い出をNHKのラジオ・テレビの語学番組のテキストや、その他のメディアに書いたエッセーを収録したものであるが、イタリア語を勉強している人間にはもちろんのこと、日本とヨーロッパ、さらには異文化との交流や衝突について関心をもつ人々にとって様々な示唆を与える書物となっている。

 著者が初めてイタリア人の団体のガイドをすることになった時に、先輩から言われたことは、絶対に「知らない」というな、言うとお客たちからなめられて、統率がとれなくなるというものであった。それやこれやでイタリア人から質問されるたびに頭をひねってもっともらしい答えを編み出してきたことで、「自分の国を異邦人の目で改めて見直し、自国に対する理解を深める」(21ページ)ことができるようになったという。

 社会や文化についてだけではない、言語についても同じことが言える。相手の言語だけでなく自分の言語についても豊かな語彙を準備できていなければ、話者の意図を満足に伝えることはできない。このあたりの事情がよく語られているのが「今までで最も緊張した仕事」(96ページ)だという2999年の幕開けを祝う1999年のクリスマスミサについて書かれた文章である。番組が始まってみると、アメリカ向けのバージョンが送られてきて、英語通訳が1人で奮闘することになる。そしてヨハネ・パウロⅡ世が口を開かれた。
”Hodie natus est nobis salvator mundi."
「仰天‼ ラテン語ではないか! 自慢ではないが、私が大学で不可をとった教科だ。幸い、大学院も出た研究者である同僚が難なく訳してくれる」(97ページ)。訳は書いていないが、「本日は、世界の救世主の誕生日であります」というようなことであろう(間違っていたらごめんなさい)。それからイタリア語で話し始める:
”La Chiesa Ti saluta e insieme con Te vuole entrare nel terzo millennnio." (教会は、御身にあいさつし、御身とともに、第3千年紀へと入ろうとしています)
 なんと、ここでtuと呼びかけている相手は神様なのだ。(田丸さんは「君」と訳しているが、私は「御身」と訳しておいた。イタリア語の2人称はtuであるが、ここではTuと大文字で表記されていることにも注意を払うべきであろう。) その後も教皇の話はつづき、それぞれに注意すべき点が列挙されている。この後、このメッセージを通訳の教室でテキストとして使ったところ、「神の嬰児(みどりご)」という訳語を聞いて、「赤子を緑にすると”超きもい”」といった生徒の話が紹介される。

 日本とイタリア、日本語とイタリア語が違っているだけではない、それぞれがそれぞれの変化を遂げている。これまで経験したことのないような新しいイタリア語とイタリア人に出会うけれども、日本語と日本人についても同様である。そのあたりのことを著者は少し苦々しげな口調を交えながらも、できるだけ客観的に記そうとしている。

 この書物の中にも登場する岡本太郎さんが、NHKラジオのまいにちイタリア語の時間で取り上げたし、それに刺激を受けて私も見に出かけたイタリア映画『人生、ここにあり! (Si può fare=やればできるさ)』は精神病院を閉鎖し、患者を地域で見守るという試みを描いた作品であるが、イタリア社会の特色がよく出た作品でもある(もちろん、この試みを理解しない、あるいは反対する人々も多数いる)。「友人のイタリア人は当たり前のように言っている。『イタリアで天才が生まれるのは、みんなどこかいかれているからさ。まあ、言ってみれば、国が巨大な精神病院みたいなものなんだ。隔離する必要はない』」(176ページ)。心を病む人々を個性として受け入れること、そして自分たちの中にもある病にも気づくことがおそらく大事なのであろう。しかし、社会は変化し続けている。さらにまた、イタリアを見る目、経験したものの精神もまた多様である。

 この書物の最後に収められているエッセー、「人生は笑いの中に」では、ある意味で対照的な2人の女性:田丸さんの母親と、田丸さんが尊敬するイタリア文学者である須賀敦子の思い出が出てくる。母親はがんの手術を受けたにもかかわらずまだまだ元気である。「原爆を生き残った人のパワー恐るべしだ」(204ページ)。ナポリの喧騒と無秩序とを忌み嫌った須賀さんは本当にイタリアが好きだったのだろうかとも問うている(確かに須賀さんのエッセーは北イタリアを舞台にしたものばかりである)。そうはいっても、須賀さんはカトリック信者でイタリア人男性と結婚して、カトリック左派の社会活動に従事していたのだから、イタリアに対してはいろいろなかかわり方があるし、それはそれとして認めるべきではないかなぁと思う。イタリア人の先祖のローマ人だってエピクロス派の哲学だけでなく、ストア派の哲学の信奉者もいたのである。

 イタリアとイタリア人、イタリア語についていろいろなことを教えてくれる書物であるとともに、日本とイタリア、日本事tのイタリア人のかかわり方、そして日本の文化と社会の特色などいろいろなことに気付き、考えさせてくれる書物である。
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