諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学消える大学』(3)

9月8日(月)雨が降ったりやんだり

 今回は、この書物の第2章「『日本の大学の致命的欠陥』は今、どうなっているのか」の後半部分について取り上げていくつもりであったが、章の終わりまで到達できなかった。それだけ日本の大学の抱えている問題点は深刻であるということであるが、この書物で示されているそれらの問題点についての取り組みの方向にも問題が少なくないということである。

 2人の対談者の展開する意見の多くに、賛同できる部分があるのだが、それでも全面的に支持する気持ちにはなれない。前回取り上げたこの章の最初の部分で諸星さんは日本の大学の致命的欠陥として9つほどの問題を指摘されていたが、その中には必ずしも「致命的欠陥」とは言えないものもあるのではなかろうか。たとえば、2番目に挙げられている「一発試験」であるが、この制度について海外の大学関係者に説明すると「素晴らしい」と評価される例が少なくないという話もある。すべての大学が「一発試験」によって合否を判定していくのは問題が大きいが、公正ささえ確保されれば「一発試験」の利点は大きいのである。(社会的な弱者が競争において勝利する可能性が大きいのは短期決戦であるということも考えるべきであるということである。)

 それから本日2018年になると18歳の年齢人口が激減するために大学は危機を迎える、従来は地方の私立文系大学が危ないといわれていたが、危機はさらに拡大すると予見されるというニュースが報じられた。この書物は、少子化によって従来であれば大学に入学してこなかったような低学力層が入学してくるという問題を踏まえて書かれているのであるが、少子化のさらなる進行は、入学者自体が確保できない事態さえも予測させるものになっていきそうである。

 そういう事態も含めて、著者たちは「弱肉強食」といいたいのであろうが、この書物の内容とこのうたい文句はどこか食い違うところがある。著者たちの本音は大学間の競争による質の改善⇒大学改革ということよりもまず、大学と社会の中で蔓延し、その中での無気力化の原因となっているミスマッチをなくしていくということにあるのではないかと思われるからである。私自身が大学で教えているときに、学生たちがいろいろな機会に「自分がこの大学でこんなことをしていてよいのかと疑問に思う」という感想を述べているのに出会ったことが少なくない。そういう悩みは自分なりに解決してから大学に入ってくれた方がいいのだが、なかなかそうはいかない。生涯学習の時代に、自分の生涯についてあれこれ悩み、道を求める時期があってよいのは当然のことであるが、それをどの時期に設定するかということはあまり考えられていない。学生の個人差もあるだろうから、余計難しい問題である。

 ある一流大学の文学部の教授をしている友人が言っていたが、文学部に入ってくる学生の大部分が、文学(哲学、歴史学といった文学部で先行される学問)をやりたいというのではなくて、自分の偏差値ではこの学部に入るのが適当であると判断して(あるいは誰かに判断してもらって)入学してきたというのである。しかし、そういう判断そのものが文学部で学ばれる学問領域を究めていくのにはふさわしくないものである。(しかし、そういうことを考えていくと、大学の文学部の定員が果たして社会の需要にこたえるものなのか、さらに言えば、そもそも大学の文学部の定員を決めるということにどれほどの意味があるのかという問題にもなってくる。)

 もう一つ、私が経験した例を挙げてみる。あるところで食事をしていたら、大学受験生を子どもにもつ母親らしい人が知人に相談していているのが聞こえてきた。神奈川大学と鶴見大学と横浜商科大学の3校のうちのどちらかに子どもを入学させたいのだが、どうすればいいだろうか。もう少し遠くの大学に入学させてもよいと思うのだが、自宅近くの大学に入学させたいと思っているらしかった。よほど口を出そうかと思ったが、やめた。この3校ならば、それぞれの大学の教育内容や卒業生の進路はかなり違っているので、それを説明することは難しくないし、それぞれの大学に関係者に知人もいるし、それぞれのいい噂、悪い噂も聞いている。だが、一番大事なのは、受験生本人の希望ではないのか。それを確かめずに、客観的にどの大学がいいのかという情報だけ得ようとするのは問題が大きい。

 さて、諸星さんは日本の大学の致命的欠陥の2番目として入試をめぐる問題を挙げている。「具体的には、受験生の選抜、選択の仕方(アドミッション・ポリシー)です。どんな生徒を自分の大学の学生として受け入れるのか――その判断がいい加減ではないのか、という問題提起です」(83ページ)という。大学には本来、社会に対してどのような卒業生を送り出すのかというミッションがあるはずであるが、それがはっきりしていない。だから結局のところ「知識だけを競って入試で1点を争う、学力だけの一発試験に頼ってきた」(鈴木、84ページ)。すでに書いたように、私は学力だけの一発試験が悪いとは思わない。すべての大学が一発試験というのはよくないと思うが、それぞれの大学が入学者選抜のやり方を明示するならば、その中での一部の学校が一発試験のみというのは悪くない。逆に出身校から寄せられた情報を重視して選抜を行う学校もあっていいし、こちらもその旨明示すべきだということである。諸星さんは「一発試験という選抜方法は、ミッションによって入学者を選択するわけではありませんから、結果、『偏差値偏重』という傾向を助長してしまっていたのですね」(84ページ)と述べているが、大学のレベルの問題もあって、一概には言えないのではないかと思う。

 それはさておき諸星さんは、「日本ではアドミッション・オフィスのことを『入試事務室』と呼ぶことが多いようですが、本来は『入学事務室』を指す言葉です。この入試と入学という微妙な用語の違いが『AO入試』などというわけのわからない語句になって、余計に理解に混乱を招いたきらいがあります」(85ページ)という。アドミッション・オフィスの仕事は「ある生徒が、うちの大学に入りたいという希望をもっているが、その子は本校に向いているだろうか。それがその子のためになるだろうか。そして、わが校はその子の要求にこたえることができるのだろうか。うちの教育の仕方はその子の成長に資することができるのだろうか」(85ページ)ということから始まるという。こうして大学と学生のベスト・マッチングを求める作業が展開されるのだというが、実際のところ、受験産業のほうでも「AO入試予備校」といったものを立ち上げていて、事態は簡単ではない。学生の方も自分に何が適している、何がやりたいということ以上に、どの大学に入りたいという一種の「ブランド志向」のようなものが強くあるはずである。そのあたりをどう考えるのか。第2章で取り上げられている問題はそれほど簡単に解決されるように思われない(ということで、さらに考察を継続することにする)。
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