中西進『日本神話の世界』

2月4日(月)晴れ後曇り/立春

 中西進『日本神話の世界』(ちくま学芸文庫、2013)を読み終える。「文庫版あとがき」で著者は次のように書いている。「年頭、今年の読書始めとして、神話はいかにもふさわしい。多くのみなさんがこの書物を読書第一号としてくださることを念願している」(203ページ)。残念ながら読書第一号とはならなかった、2月に入ってから最初に、それにまた立春の日に読み終えたということで、第一号とは別の記念すべき読書である―ということにしておこう。

 日本古代文化を文学作品の比較研究からつきとめようとしてきた著者がその研究の成果の一端を日本の神話に即して簡明に語っている書物であり、小著ながら多くの示唆を含んでいる。特に著者自身のさまざまな旅行の体験を踏まえて、自然にかかわっての人間の想像力の意義を強調している点が注目される。

 イザナギ・イザナミの二神による島生みの神話の中で淡路島が異常なほどに重視されている理由を地名にかかわる考証から、島が「太陽信仰をもち、冥界の出入り口と考えられるゆえに祖霊の鎮まる場所とも考えられた所」(24ページ)の一つであったと結論する。さらに「天の御柱」から巨樹、世界樹について考察を展開し、「神話は自然への幻視から始まる」(34ページ)とする議論も興味深い(別に賛成しているわけではない)。

 出雲にかかわる神話について述べた章の締めくくりとして、「『八雲立つ出雲』というように、出雲は雲の美しいところだ。変幻きわまりない出雲の空は、時として神秘的ですらある。それも神々の風土にふさわしいことである」(136ページ)と結んでいるのは著者の考えの特徴がよく出ている。

 著者は神話に見られる考え方が現代に生きる我々の考え方の基層となっているという考えを一方で展開し、その一方で古代人の考え方が我々とは全く違った性質をもっているとも述べている。これは健全な議論である。現代に生きる我々がそうであるように、古代人もみんながみんな同じことを考えていた訳ではなかろう。書物に書き残されなかった考えもあるだろうし、個性と普遍性とは古代にも存在したはずである。また単純に古代をよしとして、現代を堕落と考える下降的な歴史観に安易に与するわけにはいかない。この書物に書かれていることを結論として学ぶのではなく、考える手がかりとして、ここからさらに古代の文学について学んでいくべきであろう。そういう意味で示唆に富む書物である。

 
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