諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学、消える大学』(2)

9月7日(日)雨、夕方になって小やみになる。

 今回は、この本の第2章「『日本の大学の致命的欠陥』は今どうなっているのか」を取り上げる。第1章では「グローバル時代と大学」というテーマに即して議論を展開したのだが、ここではもっと視野を広げて日本の大学の持っている問題点全般について論じようというのである。日本の大学の問題点については従来からいろいろと指摘されてきたが、「大学全入時代到来」といわれるようになった2007,08年ごろから危機意識が強くなってきた。

 諸星さんはアメリカでの大学の経験をベースにして、日本の大学の致命的欠陥と考えることを9点挙げている。
①それぞれの大学が明確なミッション(果たすべき役割、使命)を持っていない。
②ミッションに照らして学生を選択するためのシステムがほとんど機能していない。また一発試験が浸透していて、アドミッション・オフィス(AO)の機能が正しく理解されていない。
③ミッションがないから、適切なカリキュラムが作られず、それに即した授業がなされていない。
④大学教員の本来の役割である「教育者」としての側面がないがしろにされている。
⑤「学部の壁」が学生の自由な学習を阻害している。
⑥客観的な成績評価、成績管理という点で、世界標準から取り残されている。
⑦授業料が単位制で考えられていない(そもそも単位という考え方が理解されていない)。
⑧大学運営のプロフェッショナルが大学を経営していないために、経営意識が低い。
⑨大学という存在が、社会や地域の財産になっていない。
(65-66ページ)

 まず「ミッション」について、「大学が社会に対して果たすべき役割であり、使命」「大学の存在価値」(68ページ)であると諸星さんは説明する。これを受けて鈴木さんが、「地域の介護を担う人材を育成する」とか、もう少し幅をもたせて「我が校を卒業すれば、少なくとも社会の中堅クラスの生活ができるようになる」(68-69ページ)といったことであるという。大学が自主的に掲げる具体的な目標であり、抽象的な理念や「建学の精神」とは異なるものである。

 続いて諸星さんはアメリカでは大学認定協会が大学を評価する際に、その大学が掲げているミッションがどの程度達成されているかを基準に評価を行うという。これに対して日本では文科省の認可があればそれでよいという空気があるという。諸星さんが「『お上がよしといえば、それに疑いもなく従う』という日本の国民性がここにも表れているような気がします」(72ページ)というのに対し、鈴木さんが「アメリカの場合は、そういった『お上の威光』といったようなものは一切関係ありません。それよりも、業界団体としての自主規制、自己点検、そして仲間としての相互評価の結果が最も重要なのです」(同上)と答えているが、アメリカの制度を礼賛するよりも、日本としてどうすべきかを論じるべきであろう。日本でも大学が自主的に組織する団体によって大学の評価や認定を行うべきだというのか、それとも文部科学省がミッションに基づいた大学評価・認定を行うべきであるというのか、そこをはっきり提案すべきではないのか。

 さらに議論は、大学がミッションを明示することによって受験生の選択が容易になるという方向に進む。現在の日本では選択の基準が学力の全般的な指標である偏差値になってしまっているが、どのような人材の育成を目指して、どのような教育を行っているのかという情報の方が受験生にとっては有益なはずであるという。

 ところで、それではミッションをどのように決めるのか、それは大学だけの問題ではなくて、経済界や地域社会の動きや意向も考えなければならないはずであるが、その点についてはこれまでのところ言及がない。さらに言えば、これまでの日本の大学がミッションをはっきりと掲げてこなかったのは、大学卒業生を採用する側の経済界が、大学で何を勉強したか、どんな力を見につけたかをあまり重視せずに、卒業生の潜在的な能力を重視するという考えが強かったからではないか。だから、ミッションに基づいてしっかりした教育を行っても、それが実際には企業の側からあまり評価されてこなかったという現実もあったのではないか。それが変わってきた…という実証が議論を進めるうえで必要なのではないかと思う。

 さらに議論は生々しくなってきて、諸星さんは「日本中の大学のちょうど真ん中あたり、偏差値で言えば47,8くらいの大学というのは、入学してくる学生の、学力的に一番下のあたりでは、ひょっとしたら2ケタの割り算ができない恐れもある。これが現実です。/すると、大学側がミッションを打ち出すより先に、学生のレベルによって『現実的なミッション』が決まってくることがあります。つまり、入ってくる学生を、どうやって教育するのかということです。本来の『ミッション以前』の問題ですが、教育機関である大学に入学させた限りは、当然やらなければならないことです」(77ページ)という。この現実を真摯に受け止めるならば、そういったレベルの大学はきれいごとを並べずに、「社会の大半を占める労働力と、善良なる市民をきちんと育成する」(77ページ)ということをミッションにすればいいと続けている。そして夢を追うことなく、また学生に過大な期待を抱かせることもなく、現実を見つめて、現実と取り組んでいくべきであるという。大学生に改めて基礎基本となる事柄を教えなおすという取り組みはアメリカではかなり一般的であり、日本でも広がり始めているが、だとすると大学とは一体何をするところなのかという疑問も改めて生じてくるのではなかろうか。

 このような現実に即して大学教育を考え直そうとする動きの中で、大学評価・学位授与機構が管理するウェブサイト上に日本の大学の現実の状態についての情報を多く含むポートレートが掲載されるようになる(2014年の秋というから間もなくである)と鈴木さんが述べている。「各大学のミッションについてもここに上げていくことになるでしょう」(83ページ)。

 日本とは大学の設置・経営をめぐる様相がかなり違うアメリカを基準に日本の大学改革を論じることには疑問もあり、いろいろと意見を述べたかったし、実際に意見を述べたこともあって、今回は第2章の前半部分しか紹介できなかった。自分でもいろいろと調べながら、これからの議論に付き合っていきたいと考えている。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR