諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学、消える大学』

9月5日(金)晴れたり曇ったり

 8月31日、諸星裕 鈴木典比古『弱肉強食の大学論 生き残る大学、消える大学』(朝日新書)を読み終える。グローバル化と少子化の中で大学の生き残りは困難になってきている。その中で大学の教育の内容と方法とを改革することが生き残りの道であるという2人の著者の主張には基本的に賛成である。しかし、書物の題名をはじめとしていくつかわだかまりを感じる部分もある。昨日、垂水雄二さんの著書の書評を久し振りに掲載したのもこのことと多少は関連している。

「はじめに」と題された冒頭の部分で、諸星さんは海外の大学での教職経験を踏まえて、日本の大学のガラパゴス化に警鐘を鳴らす。世界の大学が今、どういうことになっているのかについて、全く関心が払われていない。全く知らないし、知ろうとしない。現代の大衆化された大学においては、何よりも「教育」が大事である。学生に対して、大学が社会にどのように貢献しようとしているか、そのためにどのような人材を育てようとしているかを明らかにするミッションを示し、その実現に向けて何をどのように教えていくかのプロセスを細かく決めて、実行していく必要があるという。このようなことから秋田の国際教養大学の学長である鈴木典比古さんと対談をして、現在の日本の大学の問題点と、改善の方向性を探っていこうというのである。

 対談は次のような構成をとっている:
 第1章 グローバル時代と日本の大学の生きる道
 第2章 「日本の大学の致命的欠陥」は今、どうなっているのか
 第3章 「こんな大学、来ちゃだめだよ」といわれないために
 第4章 なぜ、不勉強な学生を卒業させるのか
 第5章 キーワードは「多様性」と「リベラル・アーツ」

 第1章では日本の多くの大学の学長が入学予定者に対して発信しているメッセージの中で最大のテーマになっているのが「グローバル」ということであるとが指摘される。単に大学だけでなく、経済界・産業界からもグローバル時代にふさわしい人材の育成ということが要請されているのだが、どうも両者の主張には食い違いがあるようである。鈴木さんは、グローバルというと日本から海外に出ていって活躍するということがイメージされがちであるが、実は「イン・アンド・アウト」海外から人々が流入し、その一方で日本からも出ていくというのがグローバル化であるという。

 この点と関連して諸星さんは、日本は移民が作ったカナダのような国とは違うと体験を踏まえて指摘し、それに対して鈴木さんは、だからグローバル化は遠い先のことになるだろうと予見する。「日本にとってつらく厳しいプロセスがこれからもしばらくは続くだろうとみています」(34ページ)とさらなる見通しを述べる。今、直面しようとしているのは明治維新、太平洋戦争後に続いて第3度目の大転換期であり、流血の事態にはならないかもしれないが、「弱肉強食」の世界になることは疑いないというのである。注意してよいことは、グローバル化の過程はグローバルに進行しており、中国や韓国も同じ課題に直面している、あるいはこれらの国々の方が先に適応して、日本が後から追いかけるということもありうるとも述べていることである。そうなってもやる気を出せば追いつける、「日本人はそういう後追い型のやり方は得意パターン」(鈴木、37ページ)と最終的には楽観的な見通しが語られている。

 日本の人口の減少に伴って労働力、生産力は減退する。その分を埋めるために海外から労働者が入ってくるし、それは既に起きていることである。「そうすると、必然的に外国人と一緒に仕事ができる日本人がいなくてはいけない。そういう人材がほしい。これが、現在の日本が直面しているグローバルです。それほど勇ましい話ではありません。落ち着いて、着実に対応するべきでしょう」(鈴木、39ページ)。

 このように「日本の社会が向かい合っているグローバル問題は、実は現実先行で始まってしまったインバウンド傾向に対して、まず、どうするかです」(諸星、40ページ)。この見地からすると、学長が最も現実的なアピールを発信している大学は明治学院大学である。そこでは「国内外の多様な文化や価値観に触れる教育でグローバル社会を生きていく人間力を育成」(40ページ)と述べて、外国から入ってくるいろいろな価値観を持った人たちと一緒にやっていける人間を育てるという目標を示す。ここには日本の現実に即したリアリティが感じられるという。グローバル化に対応する教育として、とにかく海外から来た人々と自分たちの違いを知る、理解するということから始めていけばよいのだという。

 この点と関連して諸星は、彼がICUで受けた授業で先生が最後に「私の授業のいろいろなことは忘れてもいいけれど、これだけは覚えておいてほしい。教育の究極の目的は偏見をなくすことである」(44ページ)と述べたことを引き合いに出す。偏見は無知から、無知は知ろうとしないことからうまれるという。

 グローバル対応は重要なことではあるが、すべての大学がそれをミッションに掲げる必要はないという。それぞれの大学が自分の得意な領域でミッションを掲げていけばよいのである。「4年制大学のうちのほとんどは、現実の日本社会の中核で働く大半の労働者の育成を要請されているわけです。そういう大学が、グローバル、グローバルというお題目を唱えて、なんとなく先端的な教育をやっているかのような雰囲気を醸し出すのはいかがなものか」(諸星、47ページ)。かつて<一億総中流化>ということが言われたが、大多数の大学は社会を健全に支える中間層の育成にあるはずである。「この層の育成に対応している大学は、無理にグローバル、グローバルという必要はない」(50ページ)。ただし、入ってきた異質の価値を理解できるという意味でのグローバル教育はやはり必要である。そうはいっても、終身雇用制が崩れ、就業構造が大きく変化している中で、生活が第一という価値観に基づいて中間層を育成していくことが困難になってきていることはお二人ともに認めてはいる(このあたりがわだかまりをもつところである)。

 これからは何が何でも日本がナンバーワンだという価値観ではやっていけなくなる。「イン・アンド・アウト」のグローバル化の中で、海外で就職する学生も増えてくるだろうし、「偏見をもたない」「それぞれの出自の文化や価値観を認め合う」「お互いにお互いを必要とする」というスタンスがますます必要になってくるだろう。そして、従来の「人工植林型」の大学教育から、「雑木林型」の教育への転換が必要になるのではないか、既存の類型を超えた新しい人材観をもつことが必要だと論じられているが、このあたりイメージだけでなく、具体的な実例も示しながら論じてほしいところである。

 今回は第1章の紹介だけで終わってしまったが、内容の紹介とともに読みながら疑問に感じたこと、私の意見などを含めて、次回以降さらに詳しく検討をしていきたい。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

変換ミス

 面白いのですが、二箇所変換ミスがあります。
「異質の勝ち」→「異質の価値」
「人口植林」→「人工植林」
 楽しみに読ませてもらっています。

Re: 変換ミス

>  面白いのですが、二箇所変換ミスがあります。
> 「異質の勝ち」→「異質の価値」
> 「人口植林」→「人工植林」
>  楽しみに読ませてもらっています。
ご指摘ありがとうございました。訂正しておきます。
プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR