つむじ風

9月3日(水)晴れたり曇ったり

 シネマヴェーラ渋谷で「甦る中村登」特集上映の中から、『わが闘争』(1968)、『つむじ風』(1963)の2本立てを見た。中村登というと女性映画の名匠という定評があるが、その作品群の中では異色といってよい2作品である。『わが闘争』は祖父の犯した過ちからドロドロとした遺伝と貧困とを引きずっている家庭に生まれた女性の苦闘の半生を描く同名の当時のベストセラーを映画化した作品。女優王国の松竹作品であるにもかかわらず、東映から佐久間良子の来演を得て映画化されているところに原作の映画化のむずかしさがうかがわれる。主人公を演じている佐久間良子の熱演もさることながら、その妹を演じている加賀まりこの持ち味がよく出ていて、彼女の代表作ではないかと思った。

 『つむじ風』は渥美清が演じる陣内陣太郎という怪人物が巻き起こす騒動を描く喜劇。渥美がどちらかというと悪役寄りの役柄を演じており、その相手役をまだまだ初々しかった富士真奈美が演じているというのも面白い。梅崎春生の原作で、彼のユーモア小説の映画化としては、5月12日付の当ブログで取り上げた『人も歩けば』(1961、川島雄三)が知られる。原作の発表年代からすると、『つむじ風』のほうが古いのだが、映画化されたのは『人も歩けば』のほうが古い。登場人物が行く先々で奇妙な運命に出会うという『人も歩けば』のほうが、より悪漢小説(ピカレスク)的な要素の強い『つむじ風』よりも映画化しやすく、また俗受けしやすいということであろうか。

 失業中で妻から下宿人扱いされている浅利圭介はある夜、ひき逃げ事件に遭遇する。引かれかかったのは陣内陣太郎という蝶ネクタイ姿の青年。Jの文字の入ったリュックサック1つが持ち物であるが、誰かに追われていると不安げな様子を見せるので、圭介は自分の家(だったが、今や下宿人にされて住んでいる)の屋根裏に陣太郎を連れていく。陣太郎は自分は徳川15代将軍の曽孫で、本名は松平陣太郎、世が世ならば20代将軍であるが、そういう身分を嫌って家を出ている、その一方で遺産相続をめぐる争いのために自分を消そうとしている人々がいるのだという。

 圭介の調べで陣太郎を轢いた車は、流行作家の加納明治の車か、銭湯の経営者である猿沢三吉のものかどちらかであることが分かる。2人は手分けして、どちらがひき逃げをしたのかを調べるが、2人にはそれぞれの弱みがあることが分かってくる。また陣太郎は、三吉の娘の一子と商売敵の泉の息子の竜之軌が「ロミオとジュリエット」的な恋人同士であること、三吉が西尾真知子という女子学生をアルバイトの二号として囲っていることなどを突き止めていく。一方加納は美人秘書の塙女史の知的な管理のもとで自由を奪われ、いらだちを隠せない状態が続いている。

 もともと仲がよかった三吉と泉とが喧嘩をするに至ったのは将棋の勝ち負けをめぐってのことであったが、それが商売の上の競争に拡大し、両者が激しい値下げ合戦をして客を奪い合うようになる。このためバスに乗って入浴に来る客がいるほどの盛況を見せるが、経営は悪化、両家ともに家計は火の車で、片方がめざしと梅干の食事、もう片方は芋ばかりをたべるという我慢比べになる。陣太郎は両者の対立をあおり、若い恋人たちを煽り、真知子に近づき、事態はどんどん進んでゆく…。

 使用人からたたき上げて婿養子になり、事業を拡大して財を成した三吉や、流行作家の加納は人から羨ましがられる存在ではあるが、多少性格に問題があったとしても、特に悪事を働いているというわけではない。交通事故についても一時の過失である。それに対してどうも陣太郎の方は根っからのうそつきの詐欺師であるというところにこの物語のユーモラスな展開の根っこに横たわるどす黒い要素が要約されている。善とかあくとかいうものは相対的なものであるが、どこまでも相対的なものだとすると、結果的に悪が栄え、善が苦しむことになるのではないか…。

 戦後派を代表する作家の1人とされる梅崎であるが、ユーモア小説ばかり書き続けていた時期があった。彼の友人の1人である霜多正次が酒の席で、やい、梅崎、お前はろくな小説を書いていないじゃないかと罵倒したという話があり、実は私はある席で、別の参加者が霜多にこの話の真偽を問いただした場に居合わせたことがある。酒の席だから、そのくらいのことは言いますよ、私は梅崎の作品はすぐれたものだと思いますというようなことを霜多は答えていたが、ろくな小説を書いていないというのも一面の真実であり、そのろくでもない小説に世の中や人生についての思いがけない洞察が込められているというのももう一面の真実ではないのか。作品の評価は、一面的なものであってはならないのである。

 さて、同じ梅崎作品の映画化である川島の『人も歩けば』に出演していた沢村貞子、桂小金治、若水ヤエ子の3人がこの作品にも出演しているのだが、川島作品に比べるとそれぞれの個性がかなり消されていて、陣内=渥美のウソにふりまわされ続けているという印象が強くなる。そのあたり、川島と中村の演出の違いといえばそれまでだが、個性乱立の傾向がある川島演出の方が私は好きである。

 いろいろと悪口を言ったが、映画が制作された当時の世の中の様子がうかがわれるという意味でも貴重な作品である。繰り返すようだが、加賀まりこや富士真奈美の可愛さは、さすがに中村監督の演出といいたくなるものである。映画館でのアナウンスによると、この映画のプリントは今回上映されたもの1本しか残っていないということであった。それも色が抜け、ところどころこまが落ちているというものである。改めて、古い映画作品を発掘・評価・保存することの大事さを考えさせられた。
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