『太平記』(9)

9月1日(月)雨

 後醍醐天皇を中心とする倒幕の陰謀が明らかになり、天皇の側近の僧侶たちが捕えられて流刑にされただけでなく、近臣たちも捕えられ、処断されようとしていた。

 当時、皇位の継承をめぐって後深草天皇から始まる持明院統と亀山天皇から始まる大覚寺統の争いがあったが、大覚寺統の後醍醐天皇による倒幕計画の露見の結果として、皇位は皇太子である持明院統の量仁(かずひと)親王に移るであろうと、関係者は喜んでいたのだが、一向に譲位の気配はない。

 「さる程に、申し勧むる人のありけるによって、持明院殿より内々関東へ御使ひを下され、『当今御謀叛の企て、近日事すでに急なり。武家速やかに糾明の沙汰なくんば、天下の乱れ近きにあるべし』と仰せられたりければ、相模入道、げにもと驚いて、宗徒(むねと)の一門、幷びに頭人(とうにん)、評定衆等を集めて、『この事いかがあるべき』と、各々の所存を問はる」(91ページ、そうこうするうちに、申し勧める人がいて、持明院殿(量仁親王)より内々に鎌倉幕府に使者を遣わされ、「今上の御謀叛の企てが最近露見して事態は急を告げている。幕府がすぐに事態に取り組んで対処しなければ、世の中は間もなく乱れるだろう」と仰せられたので、相模入道(北条高時)は、まことにその通りであると驚いて、北条一門の主だった人々、頭人(引付衆の首席)、評定衆らを集めて「このことについてどうすればよいのか」とそれぞれの意見を問いただした)。

 後醍醐天皇の側の意思がはっきりしているのに対し、持明院側も幕府もどうも意思統一ができていない。量仁親王はこの後、光厳天皇(→上皇)として物語で重要な役割を担われる方の一人であるが、後醍醐天皇ほどに権力への強い意志をお持ちであったかどうかは疑問である(そのことでかえって物語中の役割が強調されることになる)。親王に幕府への使者の派遣を勧めたのが誰であったのか、『太平記』の著者は明らかにしていないし、歴史的な事実かどうかもわからない。これまでの後醍醐天皇とその周辺の動きにもかかわらず、はっきりした対処ができないままであった北条高時はここでも、一門や幕府の重臣たちを集めてその意見を聞いて決断しようとしている。

 集まった人々も同様である。できるだけ自分の意見は述べずに、他人の意見を聞いて判断しようとしたり、とにかく保身に努めたりしている人たちが多い中で、積極的に発言したのが北条得宗家の執事(家老)である長崎入道(高綱)の子息の高資であった。彼は得宗家の内管領として幕府の実権を握っていたと注記されている(本来、得宗家の役職である内管領が、幕府の実権を握っているところに、幕府自体の体制の乱れが反映しているのである)。彼は、これまでの幕府の対応の手ぬるさを批判し、世の中の乱れを正すことは武士の務めであると主張して、天皇を流刑に、大塔宮を終身の流刑に処し、俊基、資朝らを処刑することを提案する。

 これに対して反論したのが、二階堂道蘊である。彼は既に、後醍醐天皇が正中の変の際に幕府にあてて書き送られた詫び状をめぐっても、開いて読むべきではないと常識論を展開していた。今回も、彼は幕府があまりにその権力を乱用するのはよくないと穏便な対応を主張する。「神怒り、人背かば、武運の危ふきこと近かるべし」(92ページ)。幕府の力が京大であれば、天皇が倒幕の意思を持っていらっしゃろうと、その安定を揺るがせることはできないという。これに対して長崎高資は激しく怒りの色をあらわにし、「文武揆(おもむき)一つなりと云へども、用捨時に異なるべし」(93ページ、文武の方向は一つだとは言え、時によってどちらを用いどちらを捨てるかは異なるはずである)と、さらに詳しい議論を展開する。「静かなる世には、文を以て治め、乱れたる時には、武を以て静む」(93ページ)。これは「正論」ではあるが、世の中の乱れのもとになっているのが、後醍醐天皇とその側近の「陰謀」ではなくて、北条高時と鎌倉幕府の失政であるという現実を無視した空論でもある。とにかく、高資が居丈高になって自説を主張するので、席にいた他の者たちはその勢いに押され、発言するものはなく、道蘊もさらに発言を続けることもなく退出して、後醍醐天皇、大塔宮の流刑と日野資朝、俊基の処刑が決まった。

 こうして幕府は後醍醐天皇とその側近の討幕計画に対して強硬策をもって臨むことになったが、幕府の政治に対する不満がくすぶっているために、その効果は限られたものとなることが予想される。さて、これらの対策は実際にどのような結果を生み出したのか…。続きは次回。
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