ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(6)

8月21日(木)晴れ。大雨による被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げる。その一方で、こちらでは酷暑が続いている。自然現象を神の意思の反映などと単純に解釈できないし、そうすべきではないことが痛感される。

義理の姉弟だった二人の悲嘆を前に
苦悩のあまりに私は昏倒して
意識を失っていたが、我に返ると

奇怪な責め苦が、奇怪な魂が
自分のまわりに見える、どこに行っても、
どこを向いても、どこを見ても。

私は第三の圏にいる。永遠の
雨が、呪われて、冷え切って重い。
降り方も降る物も決して変わらない。

巨大な雹が、黒い水と雪が
闇に満ちた大気の中に注がれ、
これを受ける大地には異臭が漂う。
(98-99ページ) フランチェスカとパオロの恋物語に衝撃を受けた詩人が2度目の気絶から目覚めると、ダンテは理性で食欲を抑えられなかった者たちが飽食の罪のために罰せられている地獄の第3圏に達していた。
 現在の日本が飽食の社会であり、多くの食べ物を無駄にしていること、さらに最近の異常気象や、首都圏の一部に降った雹を思い出すと、これは作り話とは思えない迫真性をもった個所であるが、ダンテが言う飽食の罪はもっと別のものを含んでいる。

 彼らを迎える悪魔はケルベロスである。ここでもギリシャ神話の存在がキリスト教的な悪魔とされているのだが、社会的な悪としての飽食を象徴する存在として描かれている。ケルベロスの前を無事に通過したダンテとウェルギリウスは:
私達は、重い雨に押しつぶされている
影どもの上を通り過ぎながら、肉体のように見える虚像を
足で踏みつぶしていった。
(101ページ) 現実的ではない場面であるが、ダンテは彼の経験と想像力を駆使してこの場面に現実性をもたせている。

 そしてその踏みつけられていた影の1つが、ダンテが同郷の同時代人であることに気付いて口を開く。死者は過去と未来を知る。チャッコというこの人物が、ダンテの故郷であるフィレンツェの政争の原因について、ダンテの問いに答えて語る。この箇所では、友愛で結ばれるべき共同体である都市の市民が、己の欲という衝動を抑えられずに獣のように暴力的に争う姿(そしてその結果)が描かれている。都市の分裂と内乱という問題はこの後も大きなテーマとなる(イタリア半島はっこの後も半島内の小国の対立と外国からの鑑賞の歴史が続き、統一イタリア王国が成立するのは19世紀の半ばになってからのことである)。そしてダンテはフィレンツェの歴史にかかわり、一部からはその業績を高く評価されている人物たちの死後の運命について問うが、
・・・「さらに黒々とした魂どもの中にいる。
様々な罪がその者どもを奈落の底で押し潰している。
それに見合うだけ深く降りていったところで、君はそのものどもに会えるだろう。」
(106ページ)という答えを得る。そしてチャッコは
…君があのさわやかな世界に戻った時には、
人々の記憶の中に私のことを呼び起こしてくれるよう頼む。」
(同上)とダンテに言づける。地獄の魂は人々の記憶の中に残ることを渇望しているのだそうである。

 そしてダンテはウェルギリウスに導かれて地獄のさらなる深みに向かっていった。

 ダンテの地獄の描写におけるリアリズムに圧倒されるというのが正直な感想である。飽食の罪というのは文字どおりに考えても、思い当たることが少なくないのに、ダンテはさらにその波及効果を考えているようである。ダンテはこの後、どのような罪と地獄に直面することになるのであろうか。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR