2つ目の窓

8月8日(金)晴れ後曇り、台風接近

 109シネマズMM横浜で『2つ目の窓』を見る。これまでカンヌ国際映画祭で受賞を繰り返してきた河瀨直美監督による、同映画祭への出品作だということであるが、実は私はこの作家の作品を観るのは初めてである。

 奄美大島を舞台に、島の精神生活の中心であるユタ神様のイサを母にもつ女子高校生杏子と、彼女の同級生で離婚した母と二人暮らしの界人を中心に親から子、子から孫への命の繋がりを取り上げた作品である。祭の夜に界人は杏子と会う約束をしていたのだが、海中に漂う刺青の男の死体を見つけ、そのことが心の中のわだかまりになって、自分をうまく表現できない。彼は離婚した父親に会いに飛行機で東京に出かけ、刺青の彫師のマネージャーのようなことをしているらしい父親と時間を過ごす。その一方で、どういう病気かは知らされないが、杏子の母のイサは重病で死にかけていて、退院して自宅で庭のガジュマルの木を見ながら、娘の手を握り、集落の人々に見守られながら死を迎える。

 杏子の「キョウ」と界人の「カイ」を合わせると「キョウカイ=境界」となる。彼らの年齢は子どもと大人の境界にあり、奄美大島は沖縄と鹿児島県の境界にある。そして映画では生と死の境界も描かれている。遊泳禁止になっている海に着衣のまま飛び込んで泳ぐ杏子と、海は生き物だから怖いといって海に入ろうとしない界人とでは、男女の境界がぼやけているようにも思われる。イサは杏子に自分の命はつながっているといい、集落の人々はイサを明るい様子であの世に送ろうとする。生と死の境界も曖昧にしようというのであろうか。
 
 河瀨監督は物語の展開よりも映像によってメッセージを伝えようとしている。刺青の男の死は結局事故なのか、事件なのかわからないままである。かなり違う育ち方をしてきた杏子と界人がなぜ惹かれあうのかについて十分な説明がされているとは言えない。奄美大島の自然の豊かさ、海の波の激しさなどを描く一方で、樹木が伐採される様子も描く。命の繋がりを描くといいながら、子ヤギが殺される場面も登場する。映像は美しい一方ではない。かといって、リアリスティックに島の生活を描きだそうとしているようにも見えない。いろいろな要素が混在している。ドキュメンタリー風の場面は少なくないが、その扱い方は恣意的に思われる。命が繋がっていくまさにその接点のところを描こうというのがこの作品の狙いかもしれないが、夾雑物が気にかかるというのが正直なところである。

 それでも、ここ1年とちょっとの間に身内から2人がこの世を去ったので、生と死の問題について改めて考えさせられた。作中、神様が死ぬのかという問いが何度か発せられているが、『古事記』を見れば、神もまたこの世から姿を隠すことはあることが分かるはずである。それに対して、河瀬監督は、生と死を乗り越える人間の命の繋がりを重視し、またその境界をあいまいにしていく文化の役割を強調しているように思われるが、死ぬのではない、どこかほかのところに行くだけだという古代人の回答についての解釈とも受け取れる。

 とはいうもののやはり死は避けがたい現実でもあり、映画で描かれている死生観は楽観的に過ぎるのではないかな、と自分の体験を通じて思っている。そうはいっても、今村昌平の『神々の深き欲望』の嘘くささを超える島の生活の現実的な描写がこの作品を貴重なものとしていることまでも否定するものではない。 
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