垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの原因を探る』(4)

8月3日(日)晴れ

 垂水さんのこの書物の主題は、科学者の学説が社会一般に正しく受け入れられない傾向があるのはどういうことかということである。第4章では、ダーウィンの進化論に即してこの問題が詳しく論じられている。その第3の部分である「進化論vs社会進化論」では生物学上の学説である進化論が、当時の社会の風潮の中でどのような期待をもたれ、どのように誤って理解されたかが論じられる。しかし、どうも読んでいて気になる部分がところどころにある。まず、この部分の書き出し:
 1859年11月24日に発売された『種の起原』初版1250部は即日完売し、ウォルタールー駅では通勤客が先を争ってこの本を買っていたという報告がダ-ウインのもとに届いた。翌1860年1月には第2版3000部が刊行された。つづいて、第3版2000部(1861年4月)、第4版(1866年)、第5版(1869年)、そして最終の第6版が1872年1月に出る。これは当時としては大ベストセラーだった。その反応は賛否両論だったが、大勢としてはダーウィンの「種は変わる」という主張は受け入れられた。しかし、この時期の進化論受容の大きな問題は、進化のメカニズム、すなわち自然淘汰のことはほとんど無視されたということである。(139ページ)

 ダーウィンの著書On the Origin of Speciesは岩波文庫版では『種の起原』、光文社の古典新訳文庫版では『種の起源』と訳されており、垂水さんは前者に従っている。この書物は一部の書店では1859年11月22日に発売されたというが、今日の日本でも同じようなことはあるし、論述の大筋に関係のないことであるから無視してかまわない。初版1250部とあるが、これも今の日本でも行われているように、関係各方面に献本されたりして、市販されたのは1170部ほどであったといわれている。即日完売したというのは多くのところでそう記されているので間違いはない。ウォルタールーというのは明らかな誤記。ロンドンにそんな名前の駅はない。ロンドンのターミナル駅の1つにウォータールーWaterlooがあるので、多分この駅のことであろう。問題はロンドンには多くのターミナル駅があって、ウォータールーはその1つにしか過ぎないということ。おそらく、ダーウィンの知人が自分の観た様子を著者に書き送ったのだろうが、ここでわざわざ取り上げるような事柄であったかどうかは疑問である。

 というのは、この書物では見落とされているが、1170部のうち500部を買い付けた大口の顧客がいたのである。それはロンドンを中心に私立図書館を経営していたチャールズ・エドワード・ムーディーCharles Edward Mudie(1818-1890)という人物で、彼の図書館のためにこの部数の書物を買い入れたのであった。この間の経緯については既に研究があるはずで、ダーウィンの著書を関心を持って読んだのがどういう社会層に属する人々であるかについてより正確な情報を得る手がかりになりそうである。この時代の鉄道の駅ではすでにWHSmithが店を構えていた。WHSmithの本格的な店舗があったのはロンドンのターミナル駅の1つであるユーストンの駅だったようで、だとするとここでそのユーストンではなくてウォータールー(たぶんそうだろう)が取り上げられているのは別の意味で興味がある。

 続いて垂水さんは「1860年代はヴィクトリア朝時代の全盛期であり、まさに進歩の時代だった」(同上)と『種の起原』が世に問われた時代の雰囲気を概観する。19世紀の前半に特徴的なことと、後半に特徴的なことがごっちゃに並列されているような印象があって、厳密な検討を要する。特にフランスにおける自然科学について「自然もまた進歩しているという見方は、それぞれ考え方は違うが、ダーウィンに先行するビュフォン、ラマルク、キュヴィエなどにも見られるものだった」(140ページ)とするのはいささか乱暴な議論であろう。進化論を唱えたラマルクが、進化を否定するキュヴィエ一派によって不遇な立場におかれたというのは科学史の中では有名なエピソードであるからである。(ラマルクにはフロギストン仮説に固執するなど新しい科学の発展に後れを取る部分があり、比較解剖学という実証的な方法を用いるキュヴィエに十分に対抗できなかったという側面もあるらしい。)

 垂水さんはさらに
 社会思想的には個人主義、自由主義的な思考の流れで、オーギュスト・コントやジョン・スチュアート・ミルなどが、ラマルクの影響を受けて社会の歴史を発展論的に捉えるという動きがあった。したがってこの時代の英国では、進歩一般を自明とする空気があり、それに科学的なお墨付きを与える進化論の登場は喝采をもって迎えられたのである。
(140ページ)と続けている。これも乱暴に過ぎる割り切り方ではないか。社会がある方向に向かって進歩しているというのはいわゆるホイッグ史観の特徴とされ、フランスの啓蒙思想の影響を受けた歴史観であるということはできる。それを「ラマルクの影響」と言い切ってしまうのはどうかと思う。また、J・S・ミルは英国における功利主義的な思想の代表者であるという一方で、そこからさらに新しい社会理論を求めて動き出そうとした思想家であるという側面を持っている。それから垂水さんが既に論じてきたことと関連して、このような個人主義、自由主義の社会理論の中では個人と社会(個体と集団)の関係がうまく説明できない。それがこの議論の欠点になっていることを説明しておくべきではないか。

 さらに言うと19世紀前半の英国ではロマン主義の流れがあり、それは失われた牧歌的な田園生活への郷愁をうたう反面で、資本主義の興隆への反抗という側面ももっていた。保守とか革新とか、進歩とか反動とかいうが、この時代の英国における思想の動きはそれぞれの考えが自らの中に様々な可能性を秘めながら展開されていったので、安易な決めつけをするのは危険である。

 今回は、わずか2ページ分についての紹介と意見とで終わることになった。次回はもう少し頑張っておわりに近づけるつもりである。
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気づきましたね

 私もこの本を読み、私なりの書評をすでに書き終わっていますが、貴兄のものはまだ終わらないので、この際、初めの部分だけ披露します。「気づきましたね」のタイトルは、読めばわかります。
 あとがきに「一気に書き上げることになった」と書かれているが、多少名前が売れてちやほやされたので、自分の能力を見誤って生意気にも丁寧な執筆態度を持たなかったのであろう。実に乱雑でお粗末な著述である。こんな程度の人間が翻訳した本を読んでいるとすると、翻訳にも心配した方がよさそうだ。(なお、本書139頁に「ウォルタールー駅」と書かれているのを見ると、英語の単語の読みに関しても怪しい人なのだと思わざるを得ない。ロンドンのWaterloo駅のことだが、これを読んで「ウォルタールー駅」と、「ウォ」の後に「ル」が入るはずがない。単純な思い込みで書いたのであろうが、思い込んだこと自体もお粗末だが、丁寧なチェックを怠っていることは確かである。編集者に責任転嫁すべきではない。ついでにもう一つ挙げるなら、191頁等で乗り物vehicleを「ヴィークル」と読んでいるが、「ヴィーイクル」、あるいは実際の発音に即せば「ヴィヤクル」などと書くべきであって、「ヴィークル」ではあるまい。iを無視すべきではない。米音では、「ヴィーヒクル」もありである。)
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