アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズ全集② 四つのサイン』

8月2日(土)晴れ

 8月1日、アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズ全集② 四つのサイン』(河出文庫)を読み終える。子どものころに読んだはずのホームズを大人になって何度も読み返しているのはどういうことかと友人から質問されたことがある。本を読み返せばそれだけ理解が深まるし、外国語で書かれた書物だと、別の人間の翻訳を読むことによって、新しい視角からの読み方ができる、元の言語(この場合英語)で読み直せば、その言語の勉強にもなるし、自分なりの解釈の根拠を見つけることもできる、こういったところがホームズを何度も読み返している一般的な理由である。

 退屈を持て余していたホームズのもとに、若い女性の依頼人が訪れてくる。メアリ・モースタンという名の家庭教師(ガヴァネス)で、インドの連隊で士官をしていた父親が1878年に帰国してその直後に消息を絶ち、4年たった1882年に彼女の消息を尋ねる広告が出たので回答を送ったところ、大粒の真珠が送られてきた。その後毎年、真珠が送られてきたが、この日の朝、差出人不明の呼び出しの手紙が来たというのである。

 呼び出しに応じて3人が馬車でたどりついた先で待っていたのは、モースタンの父親の同僚であったショルトー少佐の息子であるサディアスで、ショルトー少佐がインドから持ち帰った財宝を独り占めしようとしているのを知ったモースタン大尉が議論の途中で心臓発作を起こして死亡したこと、少佐が隠していた財宝が彼の双子の兄バーソロミューによって発見されたことなどを告げる。そして3人とともにサリー州のノーウッドにあるポンディチェリー荘に出かけて、バーソロミューに対して彼女の取り分を要求しようと提案し、彼らは邸にたどり着く。しかし、彼らを待っているはずのバーソロミューは奇怪な死を遂げていた。

 このブログを読んでいる多くの方は子ども時代に、あるいは成人してからでもこの小説を読まれていると思うし、推理小説のあらすじを書きすぎてしまうと、実際に自分で読む楽しみがなくなってしまうので、物語の紹介はこのあたりで辞めておこう。ドイルのホームズ物が大衆的な人気を博すようになるのはこの後、ホームズを主人公とする短編が『ストランド・マガジン』に連載されるようになった後のことではあるが、翻訳者が記しているように、『四つのサイン』には読み直してみると、「なかなかよくできている」(305ページ)と思わせるところがある。そして、そう思わなくても、英国の社会と推理小説の歴史を考えていくうえで、この作品には重要な要素が含まれていると思うので、その点について書いてみたいと思う。

 ドイルがシャーロック・ホームズを主人公として描いた長編小説第2作目にあたるこの作品は、『四つの署名』と訳されることが多かったが、今回の小林司・東山あかね訳は『四つのサイン』としている。「テキストを読まれればわかるとおり、スモールの仲間は文字を書くことができない現地人3人であり、彼らは自分の署名の代わりに、それぞれが×の形の記号を記したのであった。原題”The Sign of the Four"のSign(サイン)には「署名」という意味に、「記号」という意味をだぶらせてある。それを受けて、私どもは『四つのサイン』と訳すことにしたのである」(317ページ)とあとがきに記されている。ところで、たいていの翻訳にはアグラの砦で運び手から奪った財宝を埋めてそのありかを記し、また4人のサインが記された地図が載せられているのだが、この翻訳ではそれが省かれている。この点をめぐる説明がされていないのは気にかかるところではある。

 さらにまた、現地人3人が「文字を書くことができな」かったかどうかはテキストを読んでもわからない。とすると、彼らがシーク教徒で、パンジャーブ語を話していたとすれば、彼らがこの言語を書くときに使用するのはグルムキー文字であり、この文字は現代の多文化化した英国では結構見かけるものであるが、読み書きができる人は現在でもごく限られている。そして、もし彼らがグルムキー文字で読み書きができたとすれば、読み書きができないのは英国人のショルトーのほうであり、自分たちが英語の読み書きができないから×を書いたとも、パンジャーブ語+グルムキー文字の読み書きができないショルトーのために×を書いたとも受け取ることができるのではないか。

 さらにまた、「シーク教徒」について、「インドのパンジャブ地方で15世紀に興ったヒンドゥー教の一派。19世紀半ばに2回にわたり英国支配に反抗し、シーク戦争をおこした」(248ページ)という注を付けているが、ヒンドゥー教の一派とするよりも、独立の宗教と考えた方が適切で、彼らが進取の気性に富み、インド亜大陸の住民の中では積極的に海外に出かけたために、インド人というと、シーク教徒のイメージ(ターバンを巻いたシンさん)でとらえられがちになったという歴史を記した方がよかったのではないかと思う。

 これらは翻訳・出版上の問題であって、原作の問題ではない。登場するシーク教徒たちの名前の付け方が実際にはあり得ないようなものであるということはさておいて、インド伝来の秘宝をめぐるミステリーという共通点をもつコリンズの『月長石』と比較すると、インドの社会やその変化についての描写がより具体的になっている(セポイの叛乱の様子など)ことは確かであるし、その理由については巻末のクリストファー・ローデンによる『解説』を読めば明らかになるが、全体としての出来栄えにおいて『月長石』に及ばないとはいうものの、探偵としてのホームズの造形という点で上回っていることも否定できない。これはドイルの功績であるとともに、英国の社会の変化によるものである。

 『月長石』でカッフが事件を解決できないまま時間が経過してしまったのは、宝石紛失事件の起きた邸の令嬢レイチェルが証言を拒否したからであり、当時の英国社会の慣行としてジェントルマンでないカッフが地主(上流階級)の令嬢を訊問できないという階級的な壁のためであった。ところがホームズはあまり豊かではないが、大地主の末裔であり、また『月長石』に描かれた事件の起きた1848年からさらに時間が経過して、社会の民主化・平準化が進んだ時代に生きているのでより容易に事件に取り組むことができたといえよう。紳士探偵ホームズの活躍は、アマチュアリズム全盛時代の風潮とも合致していたが、その一方で彼が医学や化学についての専門的な知識や実験の能力を見につけていたことも確かである。科学的な捜査能力を持った素人探偵というのは19世紀末であったからこそ存在しえた、内部に矛盾を抱えた存在であった。

 それから、『月長石』ではレイチェルをめぐるフランクリンとゴドフリーという2人の紳士、1人は大地主、もう1人は地方銀行家の子息の恋の争いも物語の大きな要素となるが、『四つのサイン』では、ガヴァネスのモースタンと医師のワトソンの恋愛が同じような役割を果たしている。19世紀の英国の小説の中でガヴァネスがどのような扱いを受ける存在であったかは川本静子さんの有名な研究があるので参照していただきたいが、ガヴァネスも医師も19世紀の前半にはレディー&ジェントルマンの最下位の方に位置する職業とされていたことを思い出してほしい。ジェーン・エアやベッキー・シャープが野心に満ちた女性であるのに比べてメアリ・モースタンは大きな財産を受け取る可能性を持ちながらも、どちらかというと平凡な生活に憧れている女性に描かれていることも注意してよい点ではないかと思う。
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