プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(4)

7月30日(水)晴れ

 オシリスはエジプト人に文明をもたらした神であるが、その地位を奪おうとした兄弟のテュポン(セト)のたくらみによって殺害され、その遺体は海に流される。しかしオシリスの妻であるイシスが苦労して遺体を発見するが、テュポンは彼女のスキをついて遺体をバラバラに切断する。イシスはバラバラにされた遺体をすべて見つけてそれぞれに墓を造り、さらにオシリスを生き返らせる。オシリスとイシスの子どもであるホロスがテュポンと闘って打ち勝つが、彼を亡ぼすことはしない。

 この物語について、プルタルコスは神々にふさわしくない残忍さをもつとする一方で、人間の歴史上の出来事でもないと論じる。「テュポンやオシリスやイシスの話は、神々の受難でも人間の経験でもなく、鬼神とか半神とか呼ばれるダイモンのそれだと考える方がよいのです」(50ページ)との解釈を述べる。鬼神あるいは半神は神と人間の中間の存在と考えられる。さらに道徳的にも人間同様に美徳と悪徳の個人差がみられるという。イシスとオシリスは善きダイモンであり、テュポンは悪しきダイモンである。そしてその高い徳によって善きダイモンから神へと転身したと説く。そしていたるところで信仰されているという。

 さらにプルタルコスは、神の自然学的な説明としてオシリスは水、万物の発生の原因であり、テュポンは乾燥、水に敵対するものであるという。この点をめぐってはタレスへの言及(67ページ)とともに、ホメロスも水が万物の始原であることをエジプト人から学んでいたとしている。このあたり、どこまでがエジプト人やギリシャ人が本当に考えていたことなのか、プルタルコスが自分の頭でこじつけたことなのか怪しげな箇所が続く。ただ、雑談の種としては面白い話が多い。
 例えば、「エジプトの物語では、オシリスの死は月の17日のことあった、となっています。しかし17日と申せば、満月だった月がかけ始めているのがはっきりと見える日です。ですからピュタゴラス派の人々は、この日を「障害日」と呼び、この17という数を全く忌むべき数とみなします。そもそも17という数は、16という正方形数(つまり4×4)と18という長方形数(3×6)――この2つの数だけが、4辺を全部足し合わせた周囲の数と、その図形の中に囲まれる面積の数とが等しくなる平面数です――の間に介在し、8対8+8分の1の比率となって、両者が接続するのを妨げて切り離します」(81ページ)。

 神は善であるが、この世の中には悪も存在することをめぐり、エウリピデスの言葉を借りて
「善と悪とが別々にあるのではなく、
 両方が混ざり合ってちょうどいい加減になる」
(86ページ)という二元論的な世界観を述べている。さらにこの点と関連してゾロアストレス(ゾロアスター)の見解が紹介されているのも興味深い。この書物に出てくる多くの信仰は過去のものであるが、ゾロアスターの教義を信じる人は未だに少なからず残っていることも忘れてはなるまい。さらにプルタルコスはカルダイア人(バビロニア人、アッシリア人のこと)、ギリシャ人の世界形成論についても言及している。カルダイア人は水星・火星・木星・金星・土星のほかに太陽と月を含む7つの惑星が人間の誕生にかかわっていて(これが1週間の曜日と結びつくのであるが)、このうち2つが福星、2つが禍星、残る3つが中間であると考えていた。今ではどの曜日が福で、どの曜日が禍かわからなくなっていると訳注にある。

 プルタルコスによれば、「この世界の誕生も構成も、対立する力の混合によっております。両者は互角ではありません。善なるものの方が力をもっております。しかし悪の力が完全に滅びることはありません。宇宙の体にも魂にも悪の力が生まれながらに息づいていて、善の力に対して絶えず必死の戦いを挑んでいる」(93ページ)のである。それでも善の力の方が強いのは、知性と理性がその源となっているからであり、それはオシリスの働きであるという。これに対してテュポンは非理知的なものの象徴である。また「イシスは自然における女性的なものそのものでして、あらゆる種類の生殖の営みの受け手です」(98ページ)とされる。

 ここまで紹介してきたところからわかるように、様々な説話や学説が紹介されて、話題豊富に議論が展開されるのだが、イシスとオシリスが善きダイモンだといっておいて、その後で神になったという説明など肩透かしを食わされた感じがしないでもないし、それ以上にこれだけの説話や学説が一体何を基準として収集・整理され、ここに引用されているのか、まったく雑然とした知識の羅列の中に読者を置き去りにしているような印象も受ける。中には著者自身の勝手な解釈や想像が紛れ込んでいるのかもしれないとも思われる。プルタルコスを教師として見た場合、好奇心を喚起するという点では優れているが、その方向性を定めないという点では問題が残るのではないかという気がしてならない。エジプトの神話とギリシアの神話をどのように統一させて理解していくかにプルタルコスは苦心しているのだが、むしろ異質なものは異質なもの、別のものは別のものであるとはっきりさせた方がよかったのではなかろうか。
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