日記抄(7月23日~29日)

7月29日(火)だいたい晴れ

 7月23日から本日にかけて経験したこと、考えたことなど:
7月23日
 テレビ朝日の「マツコ&有吉の怒り新党」の「新・3大」のコーナーで、松田優作主演の連続TVドラマ『探偵物語』の「つい脱線しちゃう次週予告」が取り上げられていた。1970年代の初めの一連の日活作品の中で、長谷部安春、藤田敏八、澤田幸弘らの監督による一連の作品を「日活ニューアクション」と名付けて評価する動きがあったが、『探偵物語』はそれらの映画のスタッフが制作に加わっていたとのことである。松田優作の次週予告は作品の内容よりも、スタッフの紹介の方に力が<入って脱線を繰り返すことがおおかったという。「日活ニューアクション」がどこまで社会的に認知されていたか、また現在も記憶されているが、その作品群を同時代的に見ていただけでなく、大いに評価してもいたので、気になるところではある。

7月24日
 NHKカルチャーラジオ『生誕450年シェークスピアと名優たち』は「僕を彼女だと思って」という題名を掲げてシェークスピアの喜劇『お気に召すまま』を取り上げた。シェークスピアの時代にはまだ女優がいなくて、俳優の徒弟である少年俳優たちが女性の役を務めた。そのためか、女性が男装するという話がシェークスピアの作品には多く出てくるという話であった。実際には男性である俳優が女性の役を演じ、また男装するというのだから話はややこしくなり、そこに笑いが生まれてくる。今でも、『お気に召すまま』を男性俳優だけで上演する試みがなされたりするそうである。逆にいえば、宝塚でやってみてもいいのではなかろうかと思ったりして聞いていた。

7月25日
 NHKラジオまいにちドイツ語応用編でドイツの学校の休みSchulferienについての話題が取り上げられた。その中では夏休みdie Sommerferienが最も長く、6週間続き、そのほかにクリスマス休暇、イースター休暇などキリスト教の行事と結びついた休暇が設けられている。日本との大きな違いは休暇中の宿題がなくて、学期中と休暇中との区別がはっきりしているということだそうである。

 山出保『金沢を歩く』(岩波新書)を読み終える。「いつかは朽ちる建物と違って、道はよほどのことがない限り残ります。道は歴史の生き字引、何でもも知っている歴史の記憶装置なのです。歩けば、そこに歴史、自然、文化が詰まっています。金沢は、町全体が博物館です。金沢は、歩いて、見て、ふれて学ぶまちなのです」(3ページ)と金沢に生まれ、市役所に務め、さらに市長になった著者は記す。金沢には何度か出かけたことがあるのだが、街の雰囲気をゆっくりと味わう機会に恵まれたことがないのが残念に思われてくる。

7月28日
 関幸彦『「国史」の誕生 ミカドの国の歴史学』(講談社学術文庫)の中に命じの新政府が国家や皇室のために勲功を挙げた人物を盛んに発掘しては、位を与えたという話が出てくる。たとえば平将門を追討した藤原秀郷は明治16(1883)年に正三位を贈られている。俵藤太とも呼ばれる伝説的な英雄に対して、むしろ低い評価に思われないでもない。その一方で平将門を神として祀っている神社も複数存在することも記憶しておく必要がある。
 上田正昭さんがどこかで書いていたが、朝廷は神様にも位階を与える。そのたびに神社に勅使が向かうのだが、伝達役の勅使のほうが神様よりも位が高いということがある。でも、神様は怒らない…。「日本は神の国だ」といった元首相がいたが、神様が怒らないからいいようなものの、怒っても仕方がないようなことを我々は結構繰り返してきたのではなかろうか。日本の伝統信仰の場合、キリスト教やイスラム教に比べて神様に対する接し方はむしろ難しいのではないかと思っている。

7月29日
 NHKラジオまいにちドイツ語で
Holst du uns mal einen Schirm? (私たちに傘、取ってきてくれる?)
という表現が出てきた。この場合のmalは何か依頼をする際に、相手が押し付けられたような気持を抱かないようにするために加えられた語(話法の不変化詞)であって、訳語に反映させる必要はないとのことである。もう40年以上昔にトーキー初期のドイツ映画『制服の処女』(Mädchen in Uniform、1931)を見た際に、軍人の娘を教育する厳格な女子校で、教師たちが生徒に対して厳しく接している中で、若いベルンブルクという先生だけが生徒たちに話しかけるときにこのmalを使う。そのことが強く印象に残った。なお、この教師役のドロテア・ヴィークという女優であるが、レマルクの原作による『愛するときと死する時』の映画化作品(1958)をTVで見て、終わりのクレジット・タイトルを見ていたら、名前が出てきたので、もう少し丁寧に見ておけばよかったと後悔している。『制服の処女』は1958年に再映画化されて、この時は女教師役をリリー・パルマー、生徒役にロミー・シュナイダー、クリスティーネ・カウフマンという豪華な配役であったが、映画としての感動は薄かったようである(こちらの方は見ていない)。

 カルチャーラジオ『聖地エルサレムの歴史』で、古代の民族や都市国家の滅亡とともに、それらの民族や都市国家の神は滅びたのだが、ユダヤの場合、誰か、天才的な思い付きをした人がいた。自分たちが神の意志に添う行いをしなかったので、民族は滅びたのだ――それは神が自分たちに与えた罰なのだという解釈をすることで、ユダヤ人たちは自分たちの信仰を守り通すことができたという。たしかに類似した例を見つけることが難しい事例ではある。
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