垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの理由を探る』(3)

7月25日(金)晴れ、暑し

 垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか わかりにくさの原因を探る』(平凡社新書)について、5月26日と6月11日の当ブログで取り上げたが、第Ⅱ部の後半についての紹介をまだ残したまま投稿を中断していた。ダーウィンの進化論について正しく知ることは、彼の時代の社会と科学の状況について考える上で重要であり、さらに今日の特にアメリカの教育における創造説やインテリジェント・デザインの取り扱いとも関係しているので慎重にならないわけにはいかないのである。ところが友人から続きを早く書いてほしいという督促をもらい、引越しの荷物を調べてみたところ、運よくこの書物が見つかったので、書物の記述を追いながら、考えたことをまたぼちぼちと書いていこうと思う。

 垂水さんによると、ダーウィンの批判者たちはどうもまともに『種の起源』を読まず、自分たちのサイトの記事を引用しあって、議論を展開しているのだという。垂水さんは触れていないが、万物の創造をめぐる旧約聖書の記述には混乱があることは聖書学者の多くが認めていることであり、その旧約聖書を信じて議論を進めるということにも問題がある。ちょっとだけ書いておくと、『創世記』1.1で「初めに、神は天地を創造された」と会って天地創造の物語が始まり、2.4で「これが天地創造の由来である」とあってここで物語は完結する。ところが、その後に「主なる神が地と天を造られたとき」、「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」(2.5)とまた別の天地創造の物語が始まる。最初の物語では神は神にかたどって人間の男女を創造される(1.27参照)。ところが後の物語では「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2.7)。それから人が一人でいるのはよくないと、「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」(2.22)とされる。もともと、様々な時期に、様々な人々によって書かれたものが1つにまとめられたので、細かい部分にまで目が行き届かず、矛盾する個所があるのは当然のことである。護教的な立場からすれば、細かい個所にこだわらず、全体として真実を伝えていると考えるべきであろうが、一言一句すべてが真実だとする原理主義的な立場も根強い。しかし聖書を批判的・合理的な目で読まず、その一方で『種の起源』を批判的に読もうとするのはどう考えても筋が通らない。それはもはや批判の名に値しない。(聖書の引用は『新共同訳』を使用。)

 『種の起源』というからには、種とは何かという定義が求められるはずであるが、ダーウィンは不思議なことに書物の中で種の定義をしていない。彼は「類縁のあるすべての種はもともと空間的・時間的に連続したもので、その中で特定の変異をもつグループがまずは変種あるいは品種として区別されるようになり、時間がたつうちに、互いがめったに交雑しなくなるほど違いが大きくなると亜種、さらに分岐して分布域も異なり、交流が途絶えると別種、すなわち新種になる」(121ページ)と考えていたと論じる。したがって[変種、品種、亜種、別種への分岐は漸進的で連続的な過程であって、その境界を厳密に定めることはできないし、定義しても意味がない…大事なのは一つの種内の変異が次第に大きくなって集団の分裂(分岐)が起こることが、種の起源だ」(同上)と考えられていた。

 実際問題として生物学の研究上、種の定義は必要なので、1942年にエルンスト・マイヤーが提案した生物学的種概念「内部で相互に交配しあう個体からなる自然集団で、他の自然集団から生殖的に隔離されているもの」(122ページ)というのが広く使われているが、これにも問題はある。反進化論者は品種改良などで変種や品種が生まれても、それは種内のことであって、どんなに変異があろうとも種が変わることはないと論じる。しかし、イヌの品種の中でチワワとセントバーナードでは体重にして100倍の違いがあり、姿形もまるで違うから、形態学上は別種としても全くおかしくない。「と変種(品種)の違いは恣意的な区別に過ぎず、軽微な変異の累積から、新種が生まれないとは決して断定できないのである」(124ページ)と著者は論じている。

 反進化論者がよく口にするもう1つの批判は、もし進化論が正しいのなら、なぜ中間種は見つからないのかというものであるが、「中間種」をどのように遅疑するかによって話は違ってくるし、現実には様々な移行化石が発見されてきているという。特にティクターリクという魚類から両生類への進化段階を示す化石の発見が進化を証拠立てることになった実例が援用されている。

 「進化論という言葉は、生物が進化するという事実を指すとともに、進化がどうして起こるかの理論をも指す。ダーウィンが両者を一体のものとして提示したからである」(127ページ)。しかし、ダーウィンは進化evolutionという言葉をあまり使いたがっていないように見える。進化という言葉には、「生物があらかじめ定められた方向に前進的に進化するというニュアンスが含まれるが、ダーウィンが描きだそうとしたのは、生物の相互作用を通じてのもっとダイナミックな種の変遷だった。ダーウィンは、退化や痕跡器官も進化の一つの在り方として扱っているから、進化=進歩という見方には与しなかった」(128ページ)のである。進化をevolutionと呼んで、この言葉を流布させたのはハーバート・スペンサーであると垂水さんは指摘している。ダーウィンは「変化を伴う由来」(descent with modification)という言葉を好んだという。

 それでは「変化を伴う由来」はどのようなメカニズムによって起こるのであろうか。ダーウィンはマルサスの『人口論』からヒントを得て、次のような3つの前提を考えた。
①生物は親のあとをつぐのに必要以上の多数の子を生む
②個体間に変異があり、変異の中には遺伝するものがある
③個体間の生存競争を通じて、より適応的な変異をもつ個体がより多くの子孫を残す
(130ページ)
 この③がいわゆる自然淘汰の過程である。①は仮説ではなく、自然界に実際に見られる事実であるが、②と③が自然淘汰説にとってその成否を握る鍵となる。

 「ダーウィンの進化論にとって、自然淘汰の概念こそ最も本質的なものである。この概念の重要性は、進化を集団の漸進的な現象として捉えるのを可能にすることにある」(131ページ)。ところが、ダーウィンの多くの同時代人たちが、集団と個体のレベルの違いを意識せず、また漸進的な進化ではなく飛躍的な進化を信じていた。このため、ダーウィンは種々の批判にこたえて『種の起源』に様々な改訂を施しているが、その多くが事実上の改悪になってしまっているという。

 個体間に変異があり、自然淘汰が作用すれば進化が起こるというのは、アルゴリズムとしては正しいが、それだけでは種の分岐は説明できない。ダーウィンは種の変化についての十分なデータをもってはいたが、種分化の原理について思いつかないままであった。1858年にウォーレスの「テルナテ論文」を受け取ったダーウィンはそこから重大な刺激を受け、結果として両者が連名で学会で発表をして進化論を世に問うこととなった。とはいうものの、両者の間には考え方の違いもあり、ダーウィンの考えだけをまとめると、「大きな多様性をもつ種ほど、変種として分布を拡大していく潜在能力をより多く秘め、自然淘汰によって変種が適応性を高めていくにつれて、最初の小さな差が大きな差になり、そこに地理的な隔離が成立すれば、新種として成立し、種分化が起こる」(138ページ)ということになる。

 今回取り上げた部分では、ダーウィンが進化=進歩という考えをとらなかったという指摘が、同時代の社会思想との関連で注目される。どのように注目されるかということは、次回に詳しく論じることにしたい。 
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