グランド・ブダペスト・ホテル

7月24日(木)曇り、日が暮れてから、雷が鳴った。雨が降ったかどうかは知らない。

 昨日(7月23日)、109シネマズMM横浜で『グランド・ブダペスト・ホテル』を見た。ブダペストとあるが、ハンガリーの首都とは関係がない。ズブロフカ共和国という東欧の架空の小国を舞台とするノスタルジックな、それ以上に19世紀末から20世紀初めにかけてのベル・エポックへの郷愁をテーマとする映画である。映画の終わりに、シュテファン・ツヴァイクへの謝辞が記されている。

 東欧の小国、ある学生がその国を代表する作家の記念碑をおとずれる。そして次の場面では、その作家がインタビューを受けている。作家は自分で取材をしなくても、素材のほうが自分の所に飛び込んでくると語る。そして、さらに時間はさかのぼり、彼がアルプスの山中にあるグランド・ブダペスト・ホテルで、ホテルの所有者らしい老人から聞いた物語について語り始める。映画は二重・三重の枠の中で物語を進行させてゆく。

 彼=ムスターファは難民としていくつかのホテルで仕事をしたのちに、グランド・ブダペスト・ホテルの名声に惹かれてこのホテルで働こうとやってくる。ホテルのコンシェルジェであるグスタフは彼を信頼し、後継者と考えるようになる。グスタフは多くの顧客の信頼を得ていたが、その1人である貴族の夫人がホテルでの滞在を終えた直後に彼女の訃報を聞く。彼女が愛蔵していた美術品を遺産として贈与されるとの遺言があったのだが、遺産の継承者はそれを喜ばず、グスタフが夫人を殺害したという嫌疑を申し立て、彼は投獄される。ムスターファは恋人のアガサとともにグスタフを救おうと奔走する。

 1930年代、第二次世界大戦が勃発直前の東欧。ジャン・ルノワールの映画『大いなる幻影』は第一次世界大戦とともに「古きよき(貴族的な)ヨーロッパ」は滅びるであろうと予言していた。しかし、部分的には「古きよき(貴族的な)ヨーロッパ」、あるいはその郷愁は残ったのである。グスタフは貴族ではないが、貴族を愛することでは貴族以上である。そういう人間の存在も古きよき(貴族的な)ヨーロッパへの郷愁の一部である。映画はそのようなグスタフの人間像を二重・三重の枠の中で語り、しかも彼の素性を最後まで明かさないことで古いヨーロッパからの現代の断絶を語っているようにも思われる。

 アガサといえば、ホテルと外界を結ぶケーブルカーの存在などは、アガサ・クリスティーの世界である。クリスティーは、特にその初期においてはオペレッタ風のスパイ活劇も手掛けていた。そのような作品の1つ『チムニーズ荘』は東欧の小国の主の座をめぐるミステリーであったが、この作品は共和国における貴族のお相手も務める庶民の物語である。もともとアガサというのはギリシャ語で、そういえば、シャーロック・ホームズの「ミルヴァ―トン」の中に、アガサという名のお手伝いが物語の中で名前しか登場しないけれども、それなりに役割をはたしていたことを思い出す。おそらくズブロフカは、スイスとギリシャの間に設定されている国なのであろう。

 映画はグスタフの人間像を描くと見せかけて、名前から判断して、もともとはイスラーム教徒であったらしいムスターファの人間的な成長の過程も描いている。彼自身がヨーロッパ社会に適応しようと努力している一方で、社会のほうでも彼を受け入れて、成長させようとしているところがこの作品の1つの見どころではないかと思う。それが過去の出来事という枠の中で語られているところに、現在のヨーロッパ社会が抱えている人種・民族問題の深刻さを窺うべきであるのかもしれない。

つまり古いヨーロッパへの郷愁を描くと見せかけて、ちゃっかり新しいヨーロッパの問題をのぞかせているところにこの映画の奥の深さがあるわけであるが、あまり深読みをせずに、表面的な活劇だけを追いかけても楽しめる映画であることは否定できない。冒頭の場面で作家の胸像に多くの鍵が捧げられていること、映画の中で<鍵の結社>という秘密結社の活躍が語られることなど、どうしても深読みをしたくなる仕掛けが設けられているとはいうものの、映画の楽しみ方は多様であろう。
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