フェルナンド・ペソアの“サウダーデ”

1月30日(水)晴れ

 フェルナンド・ペソア『【新編】不穏の書、断章』(澤田直訳、平凡社:平凡社ライブラリー、2013)を読み終える。2000年に思潮社から発行された『不穏の書、断章』を増補改訂したものである。

 フェルナンド・ペソアFernando Pessoa(1888-1935)はポルトガル・モダニズムを代表する詩人の1人であるが、その作品が世界的な名声を得るようになったのは死後かなりの時間が経過してからのことである。本名の他に、アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスなどの異名で詩を発表し、ベルナルド・ソアレスの作品として散文で『不穏の書』を執筆した(未完のまま生前は発表されなかった)。彼の創作活動の特異な点は本名と異名で作品を発表し、異名のアルベルト・カエイロは自然詩人であり、リカルド・レイスは未来派、レイスは秘教的詩人というふうにそれぞれの思想と哲学をもっている存在であったということである。この3人の個性的な異名者に比べると、ソアレスはペソア自身に近い存在と言われている。『不穏の書』はリスボンの小さな会社で会計の事務をしているソアレスの手記の形をとっているが、身辺の観察や様々な思考が入り混じり、その思考が絶えず変化するというところが、作品中でも言及されているスイスの詩人哲学者『アミエルの日記』に似ているが、さらに不安定な雰囲気に満ちている。

 『不穏の書』を読んでいると何度も出会うのが“サウダーデ”(Saudade)という言葉である。「郷愁」のふり仮名として出てくることもあるし、「悔恨」のふり仮名として登場することもある。そういえば、『サウダーヂ』という映画が作られていたが、“サウダーヂ”はブラジル風の発音だそうである。

 ソアレスは書く:
 ああ、私を分断し、不安にするのは私がそうであり得たかもしれないこの別人への郷愁のためだ。(207ページ)
 誰かの子でなかたっという悔恨(サウダーデ)が、たぶん、感情面での私の無関心に大きな影響を与えているのだろう。(同上)
 ああ、決して存在したことがないものに対する郷愁(サウダーデ)ほど心疼くものはない。(256ページ)
 昨日の軽薄さが今日は永遠の郷愁となり、私の性を苛むのだ。(323ページ)

 「サウダーデ」は自分自身の過去に留まらず、共同体の過去や異郷や空想の世界にまで及ぶ。ポルトガル人は大航海時代以来、地球上のあちこちにその足跡を刻んできた。ソアレスは「この世での経験には二つの種類しかない‐普遍的なものと個別的なものだ」(273ページ)とも書いているが、ペソア=ソアレスの「サウダーデ」にも普遍的な意味と個別的な意味の両方が微妙にまじりあって含まれているように思われる。「サウダーデ」は彼自身のものであるとともに、彼を含むポルトガル語使用者すべてのものであり、ポルトガル文学における「サウダーデ」はさらに世界の文学の中で個性と普遍性をもちうるのである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR