カルヴィーノ『イタリア民話集(上)』

7月20日(日)曇り、時々晴れ

 カルヴィーノ『イタリア民話集(上)』(岩波文庫)を読み終える。イータロ・カルヴィーノ『イタリア民話集』(Fiabe Italiane, 1956)に収められた全200篇の民話の中から、75篇を選び翻訳した内の、33篇が北イタリア編としてこの中に含まれている。

 20世紀イタリアを代表する文学者のひとりであるカルヴィーノがこの民話集の編纂に取り組んだ理由と背景については、この民話集の序文であり、上巻の巻末に収録されている「民話を求める旅」に詳しく記されている。イタリアには古くから民話への関心はあったが、「読んでいて楽しく、その源泉においてばかりか、目的においても真に民衆的な、イタリア全土の民話を集成した作品」(314ページ)はまだ現われていなかった。「≪遅れたりといえども≫文学の手法と科学の情熱という2つの基盤の上に、それを築き上げることができないであろうか?」(同上)というのが彼の出発点である。

 こうして
イタリア語の方言による存在が資料として確かめられたすべてのタイプの民話を表出させること。
イタリアのすべての地方を漏れなく表出されること。
(323ページ)を目標として作業が進められ、民話集が完成した。イタリア語の諸方言が話される地域の民話が集められたので、それは必ずしもイタリアの政治的な国土と一致してはいない。南イタリアのカラーブリア地方のギリシア語を話す人々の民話が例外的に収録されているが、これは彼らの民話が他のイタリアの民話と十分に溶け合っているからであるという。

 上巻には北イタリア(トスカーナとマルケ以北、「民話を求める旅」にも記されているように、ウンブリアの民話はなぜか収められていない)の民話が集められている。王、女王、王子、王女、貴公子、商人、職人、農民、狩人など多少類型化されてはいるが様々な社会階層に属する人々が登場し、恋と冒険の物語が展開する。
 ある商人が旅行に出かける間、娘に留守番をさせる。誰も家の中に入れてはいけないといいつけるが、娘は窓の外に鸚鵡を見つけて、鸚鵡を飼いたいといって許しを得る。かねがねこの娘に目をつけていた王様が手紙を言づけてもっていかせるが、娘は鸚鵡の話が済むまでは手紙を開こうとしない。何度も何度も手紙が届き、鸚鵡はそのたびに話を続けていく…という「鸚鵡」(モンフェッラート丘陵地帯の民話)は、『アラビアン・ナイト』風の枠物語で、二重に楽しめる。
 薬屋の美しい娘と貴公子とが相手をからかう詩を応酬する「花薄荷の鉢」(ミラーノの民話)はいかにもイタリア民話らしいと思う内容だが、ちょっと意外な方向に展開していく。
 ステッラ・ディアーナ、暁の明星よ、
 きみの花薄荷にはいくつ葉がついているの?

 まあ、美しく貴い身分の騎士さま、
 夜空にはいくつ星がございますか?

 夜空の星は数えきれません。

 あたしの花薄荷を見つめてはなりません。
(56-7ページ)というやり取りが面白く、イタリア語で聞けばもっと面白いのだろうと思う。

聖ジュゼッペ(ヨセフ)一辺倒の信心を重ねた男が天国に入れてもらう「聖ジュゼッペの信者」(ヴェローナ)は宗教的な見かけの中に世俗的なものの見方が隠れている。聖ジュゼッペが「私が女房と子供を連れて、天国などおさらばして、どこか別のところへ出ていってやる」(71ページ)などという(女房=聖母マリア、子ども=キリストというわけである)。息子を学校に入れて「怠けの技」を勉強させようとする男の話(トリエステ)は落語の「あくび指南」を思い出させるところがある。
 ある王様が3人の娘の各々に自分をどのように好きかとたずね、「塩みたいに」と答えた3番目の王女が機嫌を損ねて追い出されてしまうが、城を出た後他の国の王子と結婚することになり、結婚式の宴会で父親に塩抜きの料理が振舞われるという話(ボローニャ)は、イギリスの民話にもあるようである(『リア王』の原型でもある)。
 「生まれても家を出ていってしまい二度と会うことのなくなる息子を持つか、さもなければ、しっかり見張っていれば十八歳までは何とか手もとにおくことのできる娘を持つか」(219ページ)という占いを受けて(ほかの物語にもこの占いは出てくる)生まれてきた王女が数奇な運命をたどる「乳しぼりの女王」(リヴォルノ)は最後の結婚式の贈り物に面白さがある(類話と比較してみるとさらに面白い)。
 ある王様の孫が人々を苦しめる魔女の首を切って殺すという「魔女の首」(アルノ川上流域)はギリシャ神話のペルセウスの物語の変形という点が興味深い。アンドロメダに相当する女性も登場する。宮廷につかえる樵の3人の娘の家の末娘が、王様をからかい、いたずらをしながら、最終的にはその愛を勝ち取るという「籠の中の王様」(フィレンツェ)はイタリア女性の賢さ、強さ、たくましさを感じさせる。

 というように、多くの話が含まれ、その中にはどこかで読んだような記憶のあるものが少なくないのだが、そのような共通性と微妙な違いとを味わっていくのが民話集を読む醍醐味ではないかと思う。一方で物語を語り継いだ人々の生活に根差した具体的な部分があるかと思うと、願望に根差した幻想的な部分、全くの絵空事などが入り混じり、民話ならでの世界を形作っている。『グリム童話集』に類話が見出される話に加えて、『アラビアン・ナイト』に似通ったオリエンタルな雰囲気を持つ物語も見られるところがイタリアの地理的な条件の表れなのかなと思う。一方でフランス、スペイン、ポルトガル、その一方でトルコ、アルメーニアに物語の舞台が広がっている。北アフリカを舞台にする物語がないのは、北イタリアの民話だからであろうか。続けて南イタリアの民話を集めた下巻を読むつもりである。
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