厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(3)

7月19日(土)雨が降ったりやんだり

 第5章「露店商いをめぐる世相解説」ではテキヤの商いに欠かせない伝統的な慣習
①親分子分関係
②なわばり
③口頭伝承と文字による記録の関係
について、また
④テキヤが「一般の人びと」からなぜ異質視されるか
について考察を加えている。

 「親分子分関係」は親族関係に基づかない、「社会的親子」関係の一種であり、労働や職業集団の秩序を維持するためのものである。中根千枝によると会社や官僚機構に代表される近代的な「見える組織」はしばしば親分子分関係や派閥などの「見えない組織」によって支えられていることがある。テキヤの親分子分関係は、他の親分関係と同様に子分の側の社会的劣位状況の克服を目的とし、それが血縁によらず、社会的な地位の異なる者同士を結合するものである。親分には子分を助けるだけの余裕が備わっていなければならないが、子どもが一人前になっていくまでにはできるだけ多くの「親」(あるいは親代わり)がいた方が心強い。「おおぜいの親は子にとって重層的なセーフティネットになる」(137ページ)。とはいうものの血縁で結びついている家族を買えるほどの強い力はない。

 親分子分関係は頼りになるが窮屈でもあり、近代化によって次第に過去のものとなっているが、テキヤの世界ではまだまだ重んじられている。それがこの集団が異質視される理由でもある。しかし、著者が実際にテキヤ集団の親分子分関係について調べたところでは、「血縁否定」「序列異動」「新参者の恒常的受入れ]が特徴となっていたという。親分への忠誠は、新たにつく仕事にかかわる人間関係を最優先できるかという問いに置き換えれば、企業への忠誠心を要求する会社人間への要請とそれほど変わるものではない。

 テキヤの世界には(男性のみに)「稼ぎ込み」→「一本」→「実子分」→「一家名乗り」→「代目」という序列がある。「稼ぎ込み」と「一本」は「若い衆」と呼ばれる未熟な段階であり、「一家名乗り」、「代目」は親分である。一方で親分と子分の関係があり、親分同士の序列も存在する。

 露店商の世界では誰がどこに店を広げるかをめぐる配置(=ミセワリ)が重要である。なわばりは通常、他者が入ってこないことを前提とする区切りであるが、東京の下町のテキヤの中にはアイニワ(合庭)という慣行がある。多くの場合、複数の集団が協力して祝祭空間を管理している。テキヤにはコミセ、コロビ、三寸などの業態があり、職種や職分に応じた系統分けがなされてきた。テキヤの集団はこれらの系統と関連しているが、商売を盛り上げていくためには異質な系統に属する露店の協力が望ましいのである。「アイニワ」により、安定的に多様な露店が営業することが可能になる。

 テキヤの世界では自分がどのようなテキヤであるかを名乗る口上が重視される。その中でもとくに重要なのは自分がどのような親分子分関係に属しているかを示すことである。現在では口上はすたれて、名刺によってとってかわられている。親分子分関係が重視されるのは、学会で師弟関係、ビジネスの世界で企業やそこでの上司・部下関係が相互交流の際に重視されるのと同様であるという。

 テキヤはその他の人々と違う神(神農)を信仰しているが、縁日などの主体である神仏の信仰との間に相互信頼関係を築いている。犯罪に走るものの存在が指摘されるが、それは例外的なものであり、親分の統率のもと、警察や保健所に書類を提出するなどの法的な手続きを踏んでその仕事は行われている。多少の問題はあっても祝祭空間を楽しく盛り上げればよいではないか――という考えでこれまでは済んできたが、これからは組織暴力との関係がさらに厳しく追及されていくかもしれない。

 確実な資料が乏しい社会を対象として、著者が実際に露店商の手伝いのアルバイトをしたり、長い時間をかけて調査した成果をわかりやすくまとめたものであるが、東京周辺の露店商に対象を限定しており、その意味で今後の研究範囲の拡大が望まれるところである。露店商の世界を一般と「異質」なものと考えるよりも、日本社会の特徴の一部がかなり凝縮された形で表れている社会ととらえる研究であるように思われる。親分子分関係を学校における師弟関係に置き換えて考えてみると、わかってくる部分が少なくないので、かなり説得力が感じられる研究である。

 この書物の第3章と関連して思い出すのは、1970年に日活から公開されたマキノ雅弘(1908-93)監督の『牡丹と竜』という映画である。1970年前後に盛んにつくられていたやくざ映画には博徒を中心として物語が展開するもの(少し古い時代に舞台が設定されるものが多い)、愚連隊を中心として物語が展開するもの(戦後を舞台にするものが多い)が多く、テキヤが取り上げられる作品は比較的少なかったのであるが、この作品は妻に死なれ、子どもを抱えて路頭に迷いかけたやくざ者がテキヤの親分に助けられ、関東大震災の後の東京でテキヤとして一人前になっていこうとする過程を描いており、露店商いの場面などノスタルジックな魅力が感じられた。主演の高橋英樹に神農道を説いて、テキヤになることを勧める小杉勇扮する地方のテキヤの親分と、東京に出てきた高橋英樹に商売の仕方を教える先輩の世志凡太の演技、それに共演の和泉雅子の美しさが印象に残っている。厚さんが生まれる前にとられている映画であるが、この作品についての感想を聞いてみたいと思う。(一部の情報サイトでは小杉勇が「小松勇」と誤記されている。コマツタことだ!?)
 
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