厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る」

7月16日(水)晴れ、暑し

 7月14日、厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(光文社新書)を読み終える。東京とその周辺に対象となる地域を限定して、露店商についてのフィールド・ワークの成果をわかりやすくまとめた書物であり、最後まで興味深く読み通すことができた。

 東京の下町に生まれ育った著者にとって縁日やお祭りの際に定期的にやってくる「テキヤさん」は親しみのもてる存在であった。浮かれた気分の人々の集まるところで、さらに雰囲気を盛り上げ、そんな祝祭空間で生計を立てているのが露店商たちである。「新聞などでは露天商とするが、本人たちは必ず露店商と書くので、この本でも露店商という標記を使いたい。主な舞台は東京の下町、具体的には墨田区、江東区、荒川区、台東区周辺で、そのあたりでは伝統的な露店商を『テキヤさん』と呼んでいる」(3ページ)と著者は語る。露店商に対する興味と親しみとがこの書物の出発点となっている。

 露店商のあり方には地域差がある。「テキヤはどこからやってくるのか――先に結論を述べてしまうと、大半は近所からやってくる。もし…この答えに疑問を抱くとしたら、それは…テキヤの歴史的・文化的性格がそうさせるのである」(4ページ)。この書物では地域を東京とその周辺に、また時代を近・現代に限定してテキヤの仕事と伝承を考察している。江戸・東京は近世以来の大都市で、現在に至るまで多様な露店商いが展開されてきたこと、露店商は口頭伝承を好んで文字による記録をあまりつくらないので、語られる情報が豊富な「近い過去」に焦点を合わせることで、彼らの間で形成されてきた「祝祭を祝祭らしくするための不文律」を詳しく分析できるのではないかと考えたためであるという。この不文律の中には親分子分関係や、なわばりなどの「怪しげな」慣行が深くかかわっているという。彼らの慣行には地域性と歴史性とが絡み合って部外者には理解しにくいような複雑さがみられる。

 「現代の日本の祭りに、小さなトランク一つでふらりとやってくる『寅さん』のような軽装の商人はまずいない。商人たちはワンボックスカーに組み立て式の屋台(サンズン)を積んでやってくる」(5ページ)。その一方で、移動する商人たちが商売を許可される時間と場所は制限されがちであり、商売をする場所と売る商品には流行り廃りがある。そして彼らの仕事にはトラブルとデメリットも当然のことながら存在する。この書物は、露店商いの禁・現代における変遷の実態について以下のように論じている;
 第1章 露店商いの地域性
 第2章 近世の露店商
 第3章 近代化と露店――明治から第二次世界大戦まで――
 第4章 第二次世界大戦後の混乱と露店商――敗戦後の混乱期――
 第5章 露店商いをめぐる世相解説――1960年代以降――
  ①親分子分関係
  ②なわばり
  ③口頭伝承と文字による記録
  ④テキヤは特殊なのか

 第1章「露店商いの地域性」では、多くの露店商から聞いた発言として、「静岡あたりの見えない壁」の存在が語られる。「目には見えない、けれども分厚い『慣習の壁』のようなものが静岡あたりにあって、露店商の行動様式を東西に分けているイメージらしい」((21ページ)。「静岡あたり」というあいまいさが重要であるかもしれない。おそらくは静岡市がイメージされているのであろうが、静岡県かもしれない。伊豆、駿河、遠江という3つの国からなる静岡県はむかしから東西の教会と考えられてきた。その線は明確には引けないものであるかもしれないが、とにかく存在するようである。

 文化の違いを見る場合に着目点となるのは集団の組織の原理及び、それを支える伝承である。その1つが「分家」である。東京では「分家」しなくても一人前のテキヤとして扱われるが、関西では一人前になると誰もが「分家」するという。厚さんは、同じ言葉が使われていても、実際に意味するところには違いがあるかもしれないと論じていて、詳しい研究は後日のにゆだねられている。さらになわばりをめぐる慣行も露店商の行動に影響している。

 店を出している露店商の数が多ければ多いほど、その場をホームグラウンドとしている「身内』(=組合員)とよそから来た「旅の人」とが混在している。とはいうものの、少数の例外はあるにせよ、「ほとんどの祝祭空間では地元の露店商が多数派として、地域の事情をふまえて祝祭空間を取り仕切っている」(29ページ)。

 「露店商いをめぐる諸慣行は、北海道・東日本、西日本、沖縄という3つのエリアに分かれるといわれる」(30ページ)。沖縄の慣行が異なるのは、長くアメリカの占領下におかれたことと、沖縄の血縁関係を重視する社会慣行が影響している可能性があるという。

 テキヤの少なからぬ部分が職能神として戴いているのが神農、正式には神農黄帝である(袁珂の『中国古代神話伝説』などを読めばわかるが、本来、神農と黄帝は別の存在である)。「現代の日本で神農は露店商の一部と製薬関係者、特に漢方薬関係者に信仰されている」(37ページ)。「大企業として医薬品を製造する製薬会社は、だいたい神農なら神農、少彦名なら少彦名の崇敬集団を組織して定期的な祭祀を行っている。一方、露店商たちの神農信仰は見えにくい」(39ページ)。

 それでも東京のテキヤは、一人前になることを業界関係者で見届けるダイメ(代目)という通過儀礼を設けており、その際に「神農黄帝」と大きく墨書した半切紙を祭壇の中央に掲げて、その前で「神農道に邁進」することを誓うという。しかし、彼らの神農信仰には見えにくいところがあり、それは①内部的な儀礼の際に最も鮮明に信仰が現われるが、それは外部に示されないこと、②由緒書きのような文書に文字で記録されることがなく、木像や神絵などの図像として身近に意識されることがないこと、③神農廟や少彦名神社といった神農が鎮座している場所へ参拝しないことが原因ではないかと考察されている。

 「露店商いは地域性豊かに、時代に合わせて多様に展開されてきた。そして神農が謎に包まアれているように、いつでもどこでも、外側からはわかりにくい社会を作ってきた」(48ページ)と第1章は結ばれている。

 第2章「近世の露店商」ではまず、近世から現代にかけての露店商の呼び方の歴史的な変遷について考察している。関東地方の場合、近世においては香具師(コウグシあるいはヤシ)、近代になってからはテキヤ(的屋)、現代では露店商((あるいは露天商)という呼び方が一般的であるという。近世の香具師の実態や、現代の露店商との関係についてはわからないことが多いという。彼らが口頭伝承を好み、後世に記録が残りにくい社会を形成してきたことも理由となっている。

 それでも例外的につくられてきたのが、露店商という職種の由来を述べた由緒書であり、東京都調布市を根拠とする橘屋一家の長である野口家には多くの文書が残され、その中に由緒書も含まれている。香具師の仕事についていろいろ書かれてはいるが、今一つはっきりしないところもあり、それは仕事そのものの性質にもよるのであろうが、その一方で社会との摩擦を避けようとしているところも見られるという。

 近代以後にこの仕事のありようがどのように変わっていったかについてのこの書物の内容は、また機会を改めて紹介・論評していきたい。実際に露天商の中に入ってアルバイトをしたりしながらまとめられた研究だけに、仕事の具体的な内容をとらえている部分も少なくないが、その一方で著者自身が認めているように、地域的な多様性を十分に視野に収められていないのは個人の研究としての限界を示すものであろう。とはいうものの、これまでの自分の研究の限界がしっかりと把握されているだけに、多少の停滞はあっても、将来さらに実りある成果が期待できるのではないかと思う。静岡あたりに東西の境界線があるという話と、職能神として神農が祭られているがその信仰は見えにくいという指摘が興味深かった。 
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