びいどろ学士

7月14日(火)晴れたり曇ったり、一時雨

 フランス・ルネサンスとその中心人物の1人であるフランソワ・ラブレー(1483?-1553)の研究家として知られる渡辺一夫(1901-1975)が太平洋戦争中の1944年に「びいどろ学士」という文章を書いている。

 「びいどろ学士」はミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)が1613年に出版した『模範小説集』(Novelas Ejemplares)に収められた短編小説で、セルバンテスの作品の中では、おそらく『ドン・キホーテ』に次いでよく知られた作品である。この作品が会田由によって翻訳されたのをきっかけとして、戦地に赴く若い友人(つまり彼の教え子である)にあててこの短編小説の内容を紹介しながら自分の心中を打ち明ける手紙の形で、渡辺の文章は書かれている。この作品は短いので、わりに簡単に読み終えることができる。わたしも少なくとも2回は読んでいる(『ドン・キホーテ』は何度か読みかけて、途中で挫折した。) 今、手元にこの作品を収めた書物がないので、渡辺の要約をたどって行くことにしよう。

 トマス・ロダーハという貧しい家に生まれ育った青年が、苦学したり、戦乱のさなかであった16世紀後半のヨーロッパを遍歴したのちに、スペインの最高学府であるサラマンカ大学を優秀な成績で卒業する。「ところが秀才で謹厳なトマース学士は、邪悪な女に恋慕された挙句の果て、女はトマース学士を己が意に従わせようとして、惚薬を盛るのだ。しかし、幸か不幸か、惚れ薬は初期の効を現さず、その代わりに自分の体が硝子(びいどろ)でできているという奇怪至極な幻覚に捕われることとなってしまった。学士は、こうした奇病にかかっても智能は健全であるのみか、かえって頭は冴えてきて、いかなる難問をも解決できるようになり、奇蹟的人物としてもてはやされるようになるのだ。この物語の後半は、社会の様々な人間と接した『びいどろ学士言行録』となる」(ちくま日本文学全集『渡辺一夫』14-15ページ)。

 「『びいどろ学士』は、その後名医の治療によって狂気より脱し、心身ともに健康となり、改めて社会にご奉公しようと決心する。ところがそうなると、誰も相手にはしてくれないのだ。社会は狂人の言葉に対しては寛大だが、健康人の憂世の言葉はまま痛すぎることがあるから拒否する。実に無欲恬淡なものだな。わが日本国民だってそうなのだよ。いや、特にそうかもしれない。優れた人々が戯作者や半狂人にならねばならないということは、悲しい証拠かもしれないね。トマースは絶望して首都に別離の言葉を送り、戦乱の国フランドルへ旅立ってしまう」(17ページ)。

 国内でユダヤ人や異端の人々を迫害し、国外では先住民を圧迫して植民地帝国をきずいたスペインだからこそ、『ドン・キホーテ』や「びいどろ学士」のような複雑で屈折した笑いを内包する作品が生まれたのだと渡辺は論じる。「『ドン・キホーテ』も『びいどろ学士』も名作だとは思うが、こういうひねくれた作品は、帝堯あるを知らぬ鼓腹撃壌の国からは決して生まれやしないのだ」(18ページ)とまで極論する。中国古代の伝説的な帝王である堯は理想的な政治を行ったので、世の中が平和に収まり、人々は誰が天子であるかさえも忘れてしまったという。セルバンテスの時代のスペインはその全く逆の社会であったと渡辺は言うのである。

 渡辺が研究したラブレーもまた、宗教戦争のさなかにカトリック、プロテスタント両陣営から攻撃を受けながら、自分の本心を屈折した形で表現しながら、『ガルガンチュアとパンタグリュエル』を書き進めた。セルバンテスの場合でも、ドン・企保手とサンチョ・パンサの遍歴と冒険だけでなく、その過程で彼らが出会う人物たちがそれぞれの物語を展開し、一種の枠物語になっている。複雑に仕組まれた物語の展開の中で、物語が展開し、作者の真意が見えにくい。ただ笑って読めばよいという作品でもない。

 21世紀の今日の世界を見渡しても、言論や思想の自由が極端に制限されている国は少なくない。しかし、そういう国でも優れた文学作品や思想上の著作が発表されている例もある。そのような作品や著作を生み出す源となっているのが教養の伝統であり、人間中心主義の思想である。17世紀のスペインを生きたセルバンテスもまた、ヨーロッパのルネサンスの伝統に連なる人々の1人であり、渡辺の筆致もかなり屈折しているのではあるが、何が抵抗の核心にあるべきかを暗示しようとしているように思われる。

 さて、渡辺は、作家の大江健三郎さんが師事していた先生としても知られている。大江さんが東大の仏文科に所属することになって歓迎コンパの席で、先生の『フランス・ルネサンス断章』を読んで、仏文を専攻することに決めましたといったところ、同じようなことを言い出す仲間が何人かいた。それに対して渡辺は「君たちの行く末を誤らせてどうもすまない」というようなことを言ったそうである。韜晦や含羞もあるだろうが、文学を勉強しようという学生が口をそろえて優等生的なことを言うのは気持ちが悪いという心境もあったのではないか。模範解答も結構だが、一人か、二人は、「先生の翻訳された『未来のイヴ』が面白いと思いました」などというとぼけた学生がいてもよかったと思うのである。

 そうそう、私は本日、ドン・キホーテで買い物をした。
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