H.C.アンデルセン『絵のない絵本』

6月28日(土)雨

 6月24日にH.C.アンデルセン(永野藤生訳注)『絵のない絵本』(大学書林語学文庫)を読み終える。アンデルセンのBilledbog uden Billederのドイツ語訳Bilderbuch ohne Bilderをドイツ語学習者用に対訳本として編集したものである
。独和対訳本で読んだのは、ドイツ語の勉強に主眼があったからであるが、実際問題として日本語の部分を読まないと意味が取れないことが多かったというのが正直なところである。

 地方から都会に出てきた貧しい画家が語り手である。彼は建物の最上階(おそらくは4階か5階)に部屋を借りている。これも想像だが天井が建物の中央から外側に向かって下がっているような部屋ではないかと思う。そのために光には事欠いていない。また、そのために故郷の村にいたときからの友人である「月」と晴れた夜だけの、つかの間の時間のことではあるが、対話をかわすことができる。
 月が画家に向かって言う:
Male nun, was ich erzähle,… dann wird es ein hübsches Bildeerbuch werden. (私が話すことを絵にかきたまえ。・・・そうすれば、それはきれいな絵本になりますよ。8-11ページ)

 この言葉に従って画家は月が地球上のいたるところで見た物語をかきとめていく。アンデルセンはこの本を書いた1839年までにドイツ、フランス、イタリア、スウェーデンに旅行しているが、これらの国々の物語のほかに、グリーンランド、アフリカ、インド、中国にもその想像の羽を伸ばしている。それぞれの出来事を月が目撃していた時間は短かったという理由で、33編(この対訳本に収められているのは23編)の個々の物語は短いが、作者の鋭く的確な観察眼を示している。

 私が小学生のころに、ラジオの連続番組の中に月が語る話というような題名でこの作品を朗読するものがあった。6年生になって進学塾に通っていたところ、国語の教材にラジオで聞いたことがある話が出てきたので、月が語る物語だねと身近にいた塾生の1人に囁いたところ、「アンデルセンの絵のない絵本だよ」と言われてびっくりしたことを記憶している。

 子ども時代を通してアンデルセンの童話はいろいろな翻訳で何度か読んだのだが、『絵のない絵本』を読んだのはだいぶ後になってからのことである。岩波文庫に入っている大畑末吉による翻訳でこの本を読んだのは大学院に入ってからのことで、したがってもっと若い時にこの作品を読んだ人と比べると、印象に残る作品の種類が違うのではないかと思ったりもするのだが、第14夜の幼い兄弟が自分たちの新しい兄弟の誕生を待っている話、第33夜の主の祈りの際にパンにもっとバターをつけてくださいと付け加える幼い女の子の話など、小さな子どもの出てくる話、第5夜のフランス国王の玉座の上で死んだ少年の話、第25夜のロスチャイルド家の老母の話などが強い記憶に残っている。大富豪が登場する一方で、市井の貧しい庶民も登場するのは、アンデルセンの履歴と対応するのだが、共感と愛情は庶民の方に向けられている(大富豪であるロスチャイルドの話にしても、老母が自分が貧しかった時代のことを忘れようとしていないところを強調している)ところに彼の真意を読み取るべきであろう。 

 アンデルセンは童話と自伝、それにこの『絵のない絵本』のほかに多くの長編小説も残したが、それらの作品は今日ほとんど読まれていない(日本で『即興詩人』が読まれているのは、例外だそうである)。それはアンデルセンの現実を観察する能力が長編向きではなかったからではないかと思う。

 『復興期の精神』の中で花田清輝がトルストイの談話を援用して、アンデルセンは孤独な人間で旅ばかりしていたと批判的なことを述べていたと記憶する。現実に対する鋭く的確な描写は、対象を長期にわたって批判的に観察するか、あるいは綿密な調査・取材を重ねたときに可能になるが、そういう経験はアンデルセンにはなかったということであろうか。その代わりにアンデルセンは多くの場所を旅行して、人生のいろいろな様相を表面的・断片的ではあるかもしれないが、学び取ることができた。『絵のない絵本』はそのようなアンデルセンの人生と文学への取り組みが集約されている書物であるとも解釈することができる。

 トルストイはアンデルセンの文学に潜んでいるエゴイズムを批判したのだが、彼がアンデルセンよりも孤独でなかったとは言い切れない。大学院時代に児童文学に興味をもちはじめ、それは今でも続いているのだが、トルストイとアンデルセンのどちらをより高く評価するかという問題についてはどうも結論が出せないままである。実際問題としてこの2人を対立させて考えるよりも、弱者への愛情とか、正義を求める精神というように両者の共通点を取り上げていく方が生産的ではないかとも思う。 
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