語学放浪記(34)

6月15日(日)晴れ
 
 サッカーのワールド・カップの一次リーグの初戦で日本代表はコートジボワール代表に1-2で逆転負けをした。後で両チームの監督インタビューを聴いていて思ったのは、日本のザッケローニ監督はイタリア語で話しているが、日本選手の大部分はイタリア語が分からず、通訳kを通しているということが不利に働かなかったかということである。コートジボワールの方はラムシ監督も選手(のおそらくは大部分)もフランス語を話す。コートジボワールにはドログバ選手という絶対的なエースがいて、後半から彼が出場したことが試合の雰囲気を一変させたことも確かだが、言葉の問題というのもあったのではないかという気がする。とはいうものの勝敗は時の運ということも言えるので、気持ちを切り替えて、第2戦、第3戦を勝ち抜いてほしい。

 英語をなぜ、何のために勉強するのかというのは教育行政関係者や教師の説明を受動的に受け止めるだけでなく、一人一人の学習者が自分なりの説明を見つける努力をすべき問題であるが、さらに第二外国語ということになると単純な努力だけでは回答が求めにくいというのが本当のところではあるまいか。私が大学に入学し、大学院を経由して就職することになるまでを過ごした1960年代~1970年代は日本の大学教育全体にとって極めて重要な意味を持つ変化が進行した時代であり、大学における外国語教育を考える上でも無視できない出来事が起きていた。問題はそのような変化に対して適切な政策がとられたかということであって、現在から振り返ってみると必ずしも肯定的な回答は求めにくいのである。

 大学教育が直面した問題の一つは大学教育の拡大、大学の大衆化ということである。大学教育を経験した人口が拡大することは、世間一般の知的水準が幾分かは高まる結果を生み出すという側面と、大学生の質的な水準の低下や大学教育の劣化という側面の両方が予期できるわけで、大学教育の改善のための真剣な取り組みが求められるはずであった。1960年代後半の大学における学生の抗議行動の激化はこのような事態を反映するという側面もあったのだが、どうも関心は大学の経営の方に向けられて、教育活動には十分な注意が向けられなかったようである(自主ゼミというような試みはあったが、教育方法の根本的な改革の取り組みとはいいがたいものであった)。

 外国語教育についてみると、大学の大衆化は第二外国語どころか、英語も怪しい大学生が増えてきたという風に理解してよい。ところが、これについて適切な対策が取られたとは考えにくい。英語ができないことについては大学で厳しく教えてもよいし、学外の英語教育機関と連携して教育を強化してもよいが、そういう試みが広がるのはもっと後になってからのことではなかったか。もう一つ注意してよいことは、1970年代に入るとコンピューターが普及して、そのことによってさまざまな言語の中での英語の重要性が増したということである。これらの変化にもかかわらず、大学生には第二外国語の履修が求められ続けた。英語以外の外国語を使いこなせることは理想としては望ましいが、現実的な困難は増していたのである。

 大学院時代の後輩の1人が私立の高等学校で教えていて、その中に学校の成績は悪いがスポーツでは全国レベルの名選手というのがいて、東京6大学の1つに入学できた。それで後輩に向かって「先生、ドイツ語の辞書は何を使えばいいんですか」と聞いてきたというのである。辞書というのはそれを専門に使うことになるとすぐにボロボロになってしまうもので、私の場合、英和辞書を何冊ボロボロにしたかわからないほどである。しかし、しっかりと製本されている辞書が多いし、使わないということになると全く使わないので、長持ちがするものもある。何が言いたいのかというと、大学で1~2年第二外国語を勉強して、後は使わなくなる辞書を買うというのはあまり合理的ではないということである。教師の側では最初の1年くらいは辞書を使わずに勉強できるようなシステムを考え、学生の側では先輩が後輩に辞書を譲るというようなシステムを作っておけば良いのではないかという気がする。逆にやる気のある学生は最初学習辞典を買って勉強し、それから本格的な辞典を買いそろえていけばよい。その間に辞書がボロボロになるほど使い込む可能性も考えれば、これまた不要になった辞書を先輩や友人から譲ってもらうことも考えた方がよいのかもしれない。

 辞書だけでなく、教材についても考えるべきことは少なくない。英語についても、英語以外の外国語についても言えることではあるが、様々な専門領域に対応した教材を使って教えるというような工夫がなされてよかった。日本の大学生のかなりの部分、特に文科系の場合は自分の専攻領域が何であろうとあまり関係のない就職をするし、企業の方も専門的な能力よりも一般的な能力の高さを求める傾向があったので、大学の外国語教育の教材の選択についての配慮があまりなされず、文学教材中心の傾向が続いたことも問題ではあった。
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