100分de名著『遠野物語』

6月12日(木)晴れたり曇ったり、時々雨

 NHKのEテレの番組『100分de名著』では6月に柳田国男の『遠野物語』を取り上げるということを6月になってから知り、テキストを買い求めて6月11日の昼(12:25~12:50)の再放送で第1回「民話の里・遠野」を、夜(23:00~23:25)に第2回「神とつながる者たち」の放送を見た。タレントの伊集院光さんと、武内陶子アナウンサーの2人の司会者が東京学芸大学の石井正己教授を迎えて話を聞くというスタイルの番組で、テキストを手元に置かなくても十分に内容が伝わるが、テキストに書かれていて放送では省略されてしまった部分もあるので、やはり買っておいてよかったと思った。

 書物の舞台となる遠野郷は陸中(岩手県)の山に囲まれた小盆地で、江戸時代には遠野南部家1万石の城下町であった。それで「盆地底には人と物、情報が集散する城下町があり、周囲の平坦地には水田が広がり山裾の丘陵地では畑や果樹園が営まれ、背後の山に入れば狩猟採集が行われています。地形と対応して、外側から中心へと、狩猟採集の縄文時代稲作の弥生時代、商工業の発達した江戸時代の文化がそれぞれ息づいているのです。…つまり、小盆地という空間に、縄文から近現代までの時間が凝縮されて堆積しているのです」(12ページ)と、この土地の伝承の性格が、地域の性格と結びついてきて形成されてきたことが指摘されている。

 明治41(1908)年の11月4日に、当時33歳だった柳田のもとに、知人である新人作家水野葉舟(1883-1947)が「珍しい男がいますよ」と、柳谷妖怪の話を聞かせようと佐々木喜善(1886-1933)という青年を連れてくる。佐々木は遠野の出身で鏡石と号し(この号は泉鏡花にあやかったものである)、最初哲学館(現在の東洋大学)に学び、その後早稲田に転じた文学青年であり、柳田は農商務省に務めてエリート官僚の道を歩みながら、全国各地を旅行して民俗学研究のもととなる調査活動を積み重ねていた。

 その日の佐々木の日記には、「水野が来て、共(ともども)柳田さんの処へ行った。お化話をして帰って」とある(14ページ)。小説家を志していた佐々木は自分の語った話を当時流行の怪談の一種と認識していたようである。これに対して柳田の手帳には「水野は舟、佐々木喜善二人来て話、佐々木は岩手県遠野の人、その山ざとはよほど趣味ある所なり。其話をそのままかきとめて「遠野物語」をつくる」(同上)と記されていた。そしてすぐに物語の草稿の執筆に取り掛かっている。

 石井さんは、話し手と聞き手との間に少なからぬ認識のずれがあったことを指摘し、そのずれを重視している。そのずれによってこそこの物語が「既成の枠組みに収まらず、時代の文脈からも切り離された、それ以前にもその跡にも類例のない、ある意味では孤高のテキストになっていったのだろうと思います」(15ページ)と論じている。『既成の枠組みに収まら』ないかどうかを判断するだけの学識は私にはない。また『遠野物語』を「時代の文脈」に結び付けて解釈する見方にも接してきたことも付け加えておこう。

 柳田は佐々木からの聞き書きに加えて自身も遠野を訪問し、明治44(1911)年6月に『遠野物語』を自費出版する。350部という限定された部数のうち、親類や知人の作家や研究者に贈った残りが販売された。柳田の文学仲間であった島崎藤村や田山花袋らが否定的な評価をする一方で、わずかに2人だけが高い評価を与えた。その2人(この部分は放送では省略されていた)とは芥川龍之介で、もう一人は泉鏡花であった。鏡花は「柳田の筆力を大層ほめながらも、一方では、女性の叫び声などは山中ばかりでなく、都会でも聞こえると批判しました」((16ページ)。この鏡花の批判には注目すべきものがあり、柳田の農山村へのこだわりを批判する際に思い出されてよいものではないかと思う。(ただ、この当時の都会というのがまだまだ自然との距離の近いものであったことにも留意すべきである。)

 柳田はこの物語は佐々木から聞いた通りのことを記したのだと序文に記している。佐々木が上京して哲学館に入学したのはこの学校の創立者である井上円了(1858-1919)が妖怪学という学問を講義しているからであったが、井上は近代合理主義の枠組みの中で妖怪を科学的に説明しようとする立場であったので、不可思議な現象に興味のあった佐々木は幻滅してしまう。ところが、柳田は不可思議なことをそのまま認めてくれるところがあり、そこで2人の間には共感できる関係が築かれたのではないかと推測される。

 以下、『遠野物語』の文体の特徴とその内容との関係について詳しく論じられているが、それは次回に残しておくことにしたい。放送の中で、武内アナウンサーが「やなぎた」、石井教授が「やなぎだ」と発音していたのが面白かった。「やなぎた」の方が正しいということだが、それは末梢的なことではないかと思う(しかし、私は漢字になってしまえば同じことだと思いながらも、<やなぎた>と入力している)。 (続く)
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