大プリニウスと『博物誌』

強調文6月9日(月)曇り

 6月6日(少し時間がたってしまったが)のNHKラジオまいにちイタリア語応用編「イタリア24の物語」はポンペイを取り上げ、紀元79年8月24日に起きたヴェスヴィオ火山の噴火の際に
Si imbarca per andare salvare amici e per osservare l'eruzione.(友人たちを救いに行き、噴火を観察すべく船に乗り込む
)という英雄的な行為の結果、命を落としたローマの海軍提督であった大プリニウスの最期について取り上げた。その最期の様子は甥である小プリニウスが友人であり、大歴史家のタキトゥスにあてて書いた書簡によって推測できる。同朋への愛と自然現象への好奇心のために命を落とした大プリニウスはその後、多くの人々から英雄視されることになる。

 ストア派の哲学を信奉していた彼は自然法則に従って生きることが最も徳の高い生活であると信じていた。彼が暇を見つけては読書と著述に励み、自然現象をめぐる記述を抜き書きして、その成果である大著『博物誌(Naturalis Historia)』を遺した。自然界の法則と人間世界の道徳律を結び付けようという企ては長い哲学の歴史の中の相当部分を占めるが、そうそう簡単に両者が結びつくわけのものでもないのである。

 大プリニウスの『博物誌』はヨーロッパの古代・中世を通じて百科全書的な役割を演じた。しかしその内容の信憑性については怪しいという意見が少なくない。以前、当ブログでもその一端を紹介した白上謙一の『ほんの話』の中に、この書物が小栗虫太郎(1901-46)の『黒死館殺人事件』(1934)の中で果たしている役割を述べた個所がある:
 「奇怪な連続殺人事件の起こる降矢木家の建物は中世魔術や古代医学史の宝庫である。名探偵法水麟太郎はその書庫をおとずれ、1676年ストラスブルグ版プリニウスの『万有史』30巻にはじまり中世医書、古代密教、魔術書、錬金術書、犯罪心理学等、3頁にわたる書目にうっとりと眺め入り、おそらくはこの家の内に住む犯人の底知れぬ学識に対して、しずかな闘志を燃やすのである…プリニウスの『自然誌』は1469年ベネチアで初版が出ており1601年にはすでに48版を重ねているという。原典は37巻であるが印刷では8冊くらいにまとまっているらしく、『1676年版の30巻本』などとというのは恐らくあるまいし、あっても特に珍しいものとは云えないかもしれないのである。しかし古代百科事典の完本として法水が嘆声をあげたというような記事のたのしさは少しも減らないのである」(白上『ほんの話』、社会思想社:現代教養文庫版、115-6ページ) それにしても『万有史』、『自然誌』、『博物誌』と様々な訳し方がされているが、それぞれに著作への解釈が透けて見えるところがあり、それぞれの訳し方についての説明が求められるところである。

 私などは「ストラスブルグ」というところにこだわってしまう。フランス語流で読めば≪ストラスブール≫、ドイツ語流では≪シュトラスブルク≫となるはずである。白上は小栗の小説によって新しい世界に導かれた思い出について懐かしそうに語る。彼の小説が『新青年』に掲載されたのに、同時代的に付き合うことができた白上の読書環境のすごさからも目を離さないようにすべきである。

 ポンペイについては、現在新たに『ポンペイ』という映画が公開上映中である。19世紀前半の英国の社会改革的な活動家であり、作家でもあったバルワー=リットン卿の小説『ポンペイ最後の日』は6回映画化されたそうで、1960年に製作され、クリスティーネ・カウフマンが主演した作品はTVで見ている。噴火によって生じたパニックだけでなく、キリスト教徒への迫害などいろいろな問題を盛り込んでいたと記憶する。今回の映画化はこの小説を原作とはせずに、全く別の設定になっているようであるが、噴火とロマンスを結び付けるという趣向は変わっていない。キリスト教の影響の後退も注目すべき特徴かもしれない。

 バルワー=リットンだけでなく、19世紀を通じてローマ時代におけるキリスト教迫害の歴史を描いた小説や歌劇が多く作られたが、それはナショナリズムや社会改革の訴えを、歴史的・宗教的な仮装にまぶして間接的に表現するものであったかもしれない――ということで、もう少し実例に即して考えてみようと思っているところである。
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