語学放浪記(33)

6月5日(木)曇りのち雨、時々強く降る。関東地方が梅雨入りしたと気象庁が発表した。

 6月3日のNHKラジオまいにちドイツ語入門編のWieder was gelernt!(また勉強になった)のコーナーで、Auf Englisch bitte! (英語でお願いします)という表現が出てきた。ドイツ(オーストリア)では、自国にやってくる人は多少のドイツ語ができるはずだと思っているので、相手が明らかに東洋系であってもドイツ語で話しかけてくる。そういう時に(もし、多少英語ができれば)こういうと役立つだろうというのである。これに対して、日本では白人の姿を見ると、どうしても英語で話そうとしてしまう。その外国人が日本語で話しかけてきたりしても、警戒心の方が先に立ってコミュニケーションが進まないことがあるという。

 日本人が外国語の会話を苦手とするのは、心理的なバリアがあるからではないかと考える人もいる。個人的な経験から言えば、自分が英語での会話が苦手なのは練習量の不足だと思っている。大学に務めていたころ、外国人の先生とは仲良くしていたが、ほとんど日本語で話していた。相手側の日本語の学習に協力したのだからいいじゃないかと心を慰める――わけにはいかない。

 外国語の学習を進めるのには、模範となるいい先生に出会うことが必要である。ここで先生というのには、その外国語を教えてくれる先生も含まれるが、それ以上に、外国語との接し方において自分の模範になるような人物である。たとえば柳田国男は19歳で旧制の一高に入学するが、その前に森鴎外のところに出入りして、当時はまだ30代前半であった鴎外から多くの影響を受けた。日本民俗学の父とされる柳田であるが、漢文と古文の素養に加えて、英語、フランス語、ドイツ語で書かれたフォークロアについての文献を読破し、ジュネーヴの国際連盟で仕事をし(本人の語るところでは、あまり会議で発言はしなかったらしい)、エスペランティストでもあった(国際連盟での経験が影響したのである)。このような外国語への取り組みにおいても柳田がドイツ語に加えてフランス語にも通じていた鴎外の影響を受けたと考えるのは自然なことである。柳田は鴎外が仕事盛りの30代の前半の時代に彼と接しているのも無視しがたい。

 鴎外は本業の軍医の仕事の傍ら、東京美術学校や慶応大学でも教えていたはずだが、そこで教えを受けた人の回想というのに出会ったことがない。教育というのは微妙なもので、賀茂真淵と本居宣長ではないが、一度だけの出会いが決定的な意味をもつこともあるし、長年の付き合いの中からほとんど学ぶところはない、あるいは反面教師として役立つだけであったというような師弟の例もないわけではない。ある人間にとってはいい先生であるが、他の人間にとっては太した先生ではなかったという例は身近にもよくあることである。それに教育というのは一方的な関係ではない。先日、同期会の折に恩師の一人が、生徒諸君に教えられ、鍛えられた部分が多かったことを感謝したいと語られていたのは、謙遜もあるだろうが、真実も含まれている(逆にいえば、教えることだけを考えていて、生徒から学ぼうとしない教師はだめだということである)。

 さて、外国語の教師について考えてみると、とりあえず現実的な目標を明確に示し、そしてその目標達成に向けて学習者を引っ張っていく力をもつことが求められる。現在のラジオのドイツ語、フランス語、イタリア語の各講座の入門編ではそれぞれCEFR(ヨーロッパ共通参照枠)のA1レベル程度に到達することが目標として示されていて、これはかなり現実的でもあり、具体的でもある目標といえる。

 すべての学習者が同時通訳ができるほどの水準の外国語のスキルを身につけるようにする――というのはどう考えても不可能である。特に英語以外の外国語を勉強するというのは、かなり強い理由がないと意味が見出しがたい。私が研究者を志していた時代には、アカデミズムの世界での暗黙の基準があった。大学院のころ、指導教官の1人であった先生に英語は不自由なく読み・書き・話すことができるようになるまで、ドイツ語・フランス語は辞書を引いて専門書が読めるようになるまで努力せよといわれた。これはその時代としては常識的かつ適切な指示であったと思う。(不幸にして私は英語、フランス語、ドイツ語のどれも先生が指示された域には達しておらず、だから、今もって学習を続けているというのが正直なところである)。

 ところが、もう1人の指導教官の先生は専門領域の教師の仕事は限られているが、需給関係からドイツ語の教師の職は結構見つけやすい、ドイツ語を勉強しろといわれていた。当時、ドイツ語検定というのはなかったけれども、現在の検定の目安に照らして4級か5級の力しかない私にとってこれは無理な要求であった。それに能力の低い教師に教わる学習者の迷惑も考えるべきなのである。あるいは、自分の指導する学生をドイツ研究に向かわせたかったという本心があったのかもしれないが、もしそうならば、そうだとはっきり言うべきである。(もし、学生からしたくない、できないと答えられたら、どうするかという覚悟ができていなかったから、就職の心配を絡めた遠回しのいい方になったかもしれないが…) いずれにせよ教師の間で学生の能力がしっかりと把握できていなかったり、要求水準が違ったり、意志の乱れがあることは望ましい事態ではない。そして、学生に対して非現実的な高い要求をするのも望ましいことではないと思う。ところが困ったことに、もう1人の先生の方もすっかり洗脳されてしまって、高校の社会科の教師をしていた私の後輩がドイツ語がよくできるから、その分も加味してどこかの短大に就職を世話できないかなどといっていたのは悪影響というべきである。外国語がよくできても、よい外国語教師になれるとは限らない。外国語教育法についての一定の訓練を受ける必要がある。もちろん、中にはそういう訓練の必要がない人もいるかもしれないが、念には念を入れということもある。

 それもこれも昔の話である。なかなか実力は向上しないが、自分の楽しみとして勉強を続けているのはありがたいことである。
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