椎名誠『そらをみてますないてます』

6月2日(月)晴れ、暑し

 5月30日、椎名誠『そらをみてますないてます』を読み終える。本の題名だけを見ていると、身辺の出来事か、旅行の経験をつづったエッセー集のようであるが、著者が過去に遭遇した様々な経験をまとめなおした長編小説である。著者は「あとがき」で「私小説」という表現を用い、編集部は「自伝的小説」と謳っているが、どちらもあまりピンと来ない。解説を担当している児島ゆかりさんは「時間行」という表現を使っているが、この表現がふさわしい実験的な性格がこの小説にはある。

 語り手の「おれ」は六本木のイタリア・レストランで皿洗いのアルバイトをしている。客の中に力道山がいたという話を聞く。夜明け近くまでの仕事を終えて、客の残して行ったピザをかじりながら、仲間たちと歩く。「おれのかじっているピザは力道山が残したもの出るのかもしれない。…だからどうだということはないけれど、それを誰かに言いたかった。まだあたりは暗かったが、歩いていく道路の先の空は確実にしらんできていた。いつもと同じありふれた夜明けだ。少し違うとしたら、いつもと少し違うピザパイをかじっている、ということだった。そしてもうすぐ夜明けの時間だった。それを誰かに言いたかった。
 もし、自分のこれまでの人生でクライマックスと呼べるような「一瞬」あるいは「時」があるとしたらそれはいつのことでした?というような質問を本気でされて、それに本気でこたえなければならない場合があったとしたら、おれはなんとこたえるだろう。
 そういうことを真剣に考えたことがある。
 わりあいはやく「その時」が見つかった。
 そうだ、たぶんあのときが人生のクライマックスだったのだろう」(14-5ページ)。

 物語の中では、このイタリア・レストランでの経験、1988年のタクラマカン砂漠遠征、イスズミという不思議な名前の水商売の女との交渉、起重機を使った荷物の陸揚げ作業、1984年のシベリア旅行、軽金属問屋の倉庫の作業、そこで働いていた女性との出会い、1984年のアリューシャン列島旅行、業界雑誌の会社を辞めてパタゴニアへの旅行を計画・実行することなど、2つの系列の経験が一方は時間の流れを追って、他方は時間の流れをさかのぼって展開される。それぞれの経験は、これまでの椎名さんの小説や旅行記で語られたものが大半で、それが多少の修正、あるいは粉飾を加えられて語りなおされている。女性経験が少し詳しく、また濃密に語られているのが特色であろうか。

 それにしても、「わりあいはやく『その時』が見つかった」というのは幸福な人生というべきであろう。椎名さんの精力的な作家活動の根底にあるのはこの意識なのだろうな、と思う。「今こそ、その時だ」などと後を押されては、時の流れの中を泳ぐどころかおぼれかけていた自分自身のことを考えると、同じ世代の人間でもいろいろあるのだと考えさせられるのである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR