カラカラ

1月25日(金)晴れ

 109シネマズ川崎シアター9でクロード・ガニヨン監督作品『カラカラ』を見る。日本=カナダ合同作品と銘打たれているが、日本とカナダの異文化接触というよりも内容はもう少し複雑である。

 「カラカラ」は日本語では普通、喉が渇いた状態を意味しているが、ここでは酒器の一種である。茶器と同様酒器も酒を入れて使ってこそその美しさが増す。問題は器の中に何を入れるかである。

 沖縄で気功のワークショップに参加していたカナダ人の元大学教授が残る滞在期間、沖縄の各地を旅行しようと思う。博物館を探してうろうろしているところで日本人の主婦の2人連れと出逢い、その一方がアメリカへの留学経験があって、英語が話せるので、博物館まで案内してもらうことになる。博物館で彼は芭蕉布の美しさに魅せられ、その製作現場を訪れようと思う。

 2人連れのうちの英語がよくできる1人=純子は夫の家庭内暴力に苦しんでいて、もう1人の勧めもあって彼の案内役を買って出る。夫の尾行から逃れようと車を複雑に走らせたりして、二人の沖縄旅行は波乱含みである。初めてのアジアに静寂を求める菜食主義者の元大学教授と、享楽的な純子は必ずしも波長が合わないが、それでもお互いに相手のやさしさを感じている。静寂を求める旅行を続ける2人の上空をジェット機の騒音がかき乱す。道中をトラブルが追いかける。

 カナダ人は英語で話しているが、もともとモントリオール出身で頭のなかではフランス語で考えている。二人は英語で話しているが、その周辺を日本語が取り囲んでいる。ラスト・シーンに流れる歌は琉球語である。言語が入り混じり、その中で、風景や民芸品(カラカラもその1つである)のなかに見出される美は言語を越えたものである。

 カラカラには泡盛を入れてもいいし、水を入れてもいい。二人のどちらが泡盛で、どちらが水かを判断するのは観客の自由である。あまり芳しくなかった人生ではあるが、これでおしまいだとは思いたくない。少しでも修正していきたい。二人は旅行を通じてお互いを変えてゆく。元大学教授は芭蕉布により強い愛着を抱き、主婦は沖縄の現状と向き合いそれを外の世界に発信しようとする。二人が見出したのは必ずしもお互いの共通点ではないが、しかし発見の過程に相手の存在は不可欠であったようである。二人の変化はまだまだ大きなものではなく、この映画が描いているのは発端にすぎないのかもしれない。しかし、それは千里の道も一歩よりはじまるという場合の一歩なのである。
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