齋藤希史『漢文脈と近代日本』(2)

5月30日(金)晴れ

 昨日に続いて、齋藤希史『漢文脈と近代日本』について紹介する。本日は、第3章「文学の近代はいつ始まったのか――半政治としての恋愛」、第4章「小説家は懐かしき異国で何を見たのか――艶情と革命の地」、終章「漢文脈の地平――もう一つの日本語へ」を取り上げていく。

 第3章は漢詩文の側から日本の近代文学を問い直そうとする試みである。この章はまず、明治の漢詩文とはなんであったか、江戸から明治への変化で何が起きたのかを確認することから始められている。文明開化の後、漢文の訓読体がもともとの漢文から離れて公式の場でつかわれる書き言葉になったといっても、漢詩や漢文が読まれなくなったわけではない。訓読体に実用の領域を明け渡した分、学芸や教養としての位置づけが定まった。漢詩を作ることは、明治になってから一層盛んになったとさえいえると著者は論じる。

 明治時代に活躍した漢詩人としてまず取り上げられるのは森春濤である。彼は維新の顕官たちと交わりを結び、詩の指導を行い、さらに詩の雑誌を主宰して全国的な名声を得ていた。およそ志士的な要素のなかった春濤であるが、中国の士大夫が属していた世界の二重性、公・出・進・仕と私・処・退・隠の2つの側面を考えると彼の果たした役割がよく理解できる。閑適と感傷の詩の世界に退いていた春濤ではあるが、漢詩文の世界になじんだものとして公への意識を全く欠いているわけではない。一方、公の世界に生きる明治の高官たちにとっても文化や風流に通じている私の側面を捨てるわけにはいかなかった。こうして両者が共存しえたのである。これに対し、大沼枕山のように世俗を避けて生活する漢詩人もいた(彼は近藤勇の辞世の詩を添削したほどであるから、政治的に全く無関心でなかったわけではないが、少なくとも維新後は無関心を貫こうとしたように見える。) 公と私とを巧みに使い分ける士人的なエトスに対し、俗世を避けて風雅に遊ぶ文人的なエトスを重んじる人々もいた。一方に漢詩文を息抜きとする士人がいて、他方に漢詩文こそいきがいであるとする文人がいたのである。

 この2つの焦点が近代以降、いわば政治と文学とでもいうべき対立へとシフトしていく。「それは、文学というものの位置が確定していくことを意味しても」(150ページ)いる。しかしそれ以前に政治と学問のあり方が明治以後次第に変化することに目を向けるべきであるという。旧来の学問は漢学を基礎としており、そこには漢詩の読み書きも含まれていた。しかし、次第に学問の実用的な側面が強調されるようになった文明開化の時代において、漢文も漢詩もその地位を後退させることになる。また、革命の時期は情動を鼓舞する詩は必要であるが、「ひとたび体制が成立してしまえば、それは邪魔なものになることさえ」(152ページ)ある。

 公のための漢文は、明治の漢文訓読調の今体文を生み出し、政治を語る言葉となり、「私の世界を語る詩文は、『文学』として新たに位置づけなおされることになった」(152ページ)という仮説を著者は提案する。もともと学問と同義であった文学がその範囲を限定されるようになる。その過程、「文学が学問から文藝にシフトする過程において、漢文脈における公/私の二重の焦点の枠組みが重要な役割を果たした」(155ページ)と著者は考えている。そしてこの問題を森鴎外に即して考察する。鴎外の『舞姫』の主人公は「公」と「私」、「条例」と「歴史文学」、士人的と文人的なものの間で揺れ動いているという。そしてその「政治」と「文学」の対立は、「功名」「勉強」と「恋愛」の対立という形をとる。結局のところ『舞姫』は「感傷小説」に終わっているが、時代はむしろ恋愛への傾斜を強めていった。

 第4章は明治から大正へと時代を移し、漢文脈が大きく変容する契機となった「恋愛」と「異国」という2つの因子に着目しながら、永井荷風、谷崎潤一郎、芥川龍之介の紀行や小説を取り上げている。谷崎が別世界としての中国を描いているのに対し、芥川が現実の姿を見ているという指摘など興味深い。

 終章では明治から大正にかけての文学の中で言文一致体や自然主義は漢文脈の外側で、それに回収されることを拒否して成立したものであることが指摘される。文学者は伝統的な漢文脈の中にあるのとは別の生き方をしながら創作活動を展開するようになった。西洋文学の知識は漢文脈の外部に文学の新たな根拠をもたらすものであった。その中で漢文脈でも、自然主義でもない、新たな文脈を作ろうとして苦闘した作家として夏目漱石を挙げているのは興味深い議論であるが、ここで詳しく取り上げる余裕がない。漢文脈にはそのゲーム性をはじめとして再評価すべき多くの要素があり、なぜ我々がそれを捨てて、別の日本語を選んだのかの再検討を含めて、再評価が必要であるという。

 魅力的な論考であるが、こちらの理解不足も手伝って 駆け足での紹介となった。「漢文脈」をはじめとして個々の用語がしっかりと定義されていないこと、議論が全体として十分に練り上げられているとは言えないことなどの問題はあるが、それは著者の別の著書を参照することで解決できるかもしれない。明治以後の文学者の中で、例えば幸田露伴の業績をどのように評価するのかなど、ここで議論された図式だけですべてが理解できるのかには疑問が残る。第3章で取り上げられている永井荷風の大沼枕山への傾倒は唐木順三の『無用者の系譜』で接したことがある話題であり、全共闘運動が展開する中での自分自身の立ち位置が定まらぬまま、唐木の著書によみふけった時期のことを思い出したりした。著者は出仕と隠逸を対立項としているが、魯迅が指摘したように出仕しないことによって自分の政治的な立場を表明した隠逸もいたのである(ただし、その抵抗の生ぬるさについても魯迅は合わせて指摘している)。逸民といってもその内実は歴史的に多様であり、まだまだ議論を深める必要がありそうである。

 このブログを始めて以来、読者各位からいただいた拍手の数が、昨日で2000を超えた。私の文章を面白いと思っていただいているのか、役に立つと思っていただくのか、あるいは別の評価があるのかはわからないが、ご愛読とご支援にお礼を申し上げるとともに、今後とも勉強を続けて、ブログを絶やさないように努力する所存であることを述べておきたい。
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