フィリッポ・リッピ

5月23日(金)晴れ

 NHKラジオまいにちイタリア語応用編「イタリア:24の物語」の再放送はウンブリア州の都市スポレートSpoletoを取り上げた。この都市の大聖堂にはイタリア・ルネサンスを代表する画家フィリッポ・リッピFilippo Lippi (1406-1469) の最晩年の大作が残っている。彼はこの大聖堂の壁画の製作中に世を去ったのである。

 リッポはフラ・アンジェリコとともに15世紀のフィレンツェを代表する画家の1人とされるが、敬虔な修道士であったアンジェリコと違い、かなり奔放な人生を送った。È noto che, nonostante fosse un frate, Filippo si innnamorò della monaca Lucrezia Buti e la rapì.彼は修道士でありながら、修道女のルクレツィア・ブーティに恋をして駆け落ちしたことでよく知られている。しかし、時代の勢いというものがあって、彼らの恋は認められ、2人は夫婦として暮らすことになった。(なお、放送では触れられていなかったが、この時、リッポは50歳、ルクレツィアは23歳で、かなり年が離れていた。) 

 Nonostante la sua vita movimentata e diloluta, le Madonnne da lui dipinte ono sempre giovani, belle e innocenti.(波乱にとんだ放埓な一生でしたが、彼の描く聖母の姿はいつも若く美しく、優しげな姿で描かれています。) その聖母のモデルとなったのが、彼の妻のルクレツィアであったのは言うまでもない。

 リッピはロレンツォ・モナコの弟子とされるが、その一方でマサッチオの影響も受けたといわれる。人物の現実感を持った描写など、彼によって開拓された絵画表現の世界は大きく、また同時代の風俗を宗教画の中に取り入れて描いたことも彼の絵画の特色である。宗教的な絵画の中に彼は世俗的な要素を持ち込んだ画家といってよいようである。

 リッピはまたサンドロ・ボッティチェッリの師でもある。ボッティチェッリは宗教的な画題の作品も多く手がけたが、その一方で『春』や『ウェヌス(ヴィーナス)の誕生』のような異教的・世俗的な作品によって知られる。ルネサンスの精神について考えるとき、こういう画題や、描き方の変遷を手掛かりに考えると理解が深まるところがある。しかし、その一方でボッティチェッリについてはリッピのようなスキャンダルは知られていないようでもある。なお、リッピとルクレツィアの息子であるフィリッピーノもボッティチェッリのもとで修業を積んで画家となった。
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