常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(3)

5月19日(月)晴れ

 一昨日、昨日に引き続き、常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』の内容を紹介する。今回は第4章「そこまで『コミュ力』が必要ですか」、第5章「『起業家』は英雄なのか」、終章「若者の可能性にかけるな」を取り上げてゆく。

 第4章では平成になってからビジネスパーソンに対してどのようなビジネススキルが求められてきたかを新聞のデータベース検索に基づいて考察している。「コミュニケーション能力」(略して「コミュ力」ということばがしきりにみられるようになるのは2000年代を過ぎてからのことであるという。「プレゼンテーション」ということばも2000年代に使用が急増している。それに対して「ロジカルシンキング」ということばは意外にもあまり使われていない。MBAは平成時代を通じて安定的に使われているが、2000年代半ばが最も登場回数が多い。ビジネススキルとは言えないが、「プロフェッショナル」という言葉についてみると、2000年代以降に登場回数が増えている。

 「コミュニケーション能力」が近年の新卒採用市場で注目を浴びるようになってきているのは経団連が毎年発表している『新卒採用に関するアンケート調査』のデータが独り歩きしたせいであると著者は推測する。この調査では『選考にあたって特に重視した点』を24項目から5つ選んで回答する形がとられており、選ばれた回答の中での順位はつけられていないことに留意すべきであると著者は言う。それ以外に論拠となるのは社会と企業を取り巻く環境の変化である。サービス業の比重が大きくなり、職場の雇用形態が多様化し、さらにコミュニケーションのツールが多様化していることも論拠となるだろうという。

 しかし、このような「コミュニケーション能力」重視は一種の強迫観念となって実際の採用場面での希望者の奇妙な言動につながったりする。もっと困ったことに、ゆがめられた「コミュニケーション能力」によって、物事の本質をごまかすことに躍起となるようなことがありはしないかという。この点にかかわってくるのが「ポエム化」という現象である。感動的ではあるが、しかし意味の分からないようなキャッチコピーが氾濫している。このような現象が劣化している社会や企業の実態をごまかし、取り繕うためだけのものであるとすれば、それは警戒すべきことである。

 『日経ビジネスアソシエ』の特集記事から「コミュニケーション能力」の中でもどのような能力が重視されてきたかをたどってみると、「話し方」と「図解」と「外国語」が最上位を占めた。「名言」に癒される傾向、外国語が重視されるようになって得いる点が注目されるという。しかし、「コミュニケーション能力」を一方的に若手社員に求めることには問題があるのではないかと著者は言う。若者に責任を転嫁せず、受け入れる側が自分たちを変える努力をすべきであると、トヨタにおける若手育成メソッドの経験を援用して論じる。

 気になるのは、著者が「ロジカルシンキング」があまり登場しないと指摘している一方で、この問題をあまり深く掘り下げていないことである。この章で論じられている「コミュニケーション能力」が「レトリック」に偏り、「ロジック」を軽視していることも問題だと思われる。

 第5章では平成の起業家たちの群像が語られるが、その前に学生時代にはいったん起業家を目指したが、リクルートに就職してからその夢が消滅してしまったという著者自身の経験が語られている。何が何でも起業がいいとは言えないというのが著者の見解である。

 そのリクルートの創設者であり、偉大な起業家であった江副浩正の経歴と業績がかなりの紙面を割いて語られている。しかし、それ以上に著者が注意を促しているのは「10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない」(179ページ)という言葉である(私としては、「音楽家」というところに疑問を感じる。音楽は文化的なものであり、単なる技能ではない。10代で完ぺきといえるような技能を見につける音楽家は大勢いるが、楽曲を自分なりに理解・解釈して独自の演奏ができるのはもっと経験を積んでからのことではないかと思う。「スポーツマン」ならまだしもと思うのだが、最近ではスポーツの一流選手の高齢化が進んでいることも無視すべきではないように思う。どうも話が脱線してすみません)。経営能力は後天的な努力によって身につくというのが江副の持論であった(江副は大学で教育心理学を勉強したはずだから、彼なりの実証的な根拠を持ってそう断言したのである)。この章はこれまでの章と違って様々なデータの分析ではなく、著者自身の体験が前面に出ているために実証性は乏しいかもしれないが、別の意味での説得力を持っている。

 終章でこれまで述べてきたことのまとめとして、先行世代は若者たちに「言いっぱなし」の「説教おやじ」になるなと説く。努力は大事であるが、「今求められているのは、『努力のデザイン』、『経験の意味づけ』なのだ。努力が無駄にあらないように、そして若者が迷走しないように、マネジメント層による『努力のデザイン』がこれほど求められている時代はない」(214ページ)。その一方で若者に求められる能力は非現実的なほどに巨大なものになってしまっている。「強さのインフレ」が起きているという。果たして若者の可能性だけに問題を丸投げして解決を図ることができるのだろうか。「いまこそ、中高年の『若者への説教離れ』が必要なのだ」(218ページ)という一文によってこの書物は締めくくられている。

 すでに何度か指摘してきたことだが、この書物の主な部分は企業が新入・若手社員に何を望んできたか/いるかをめぐる言説を分析・整理したものであって、実態の調査ではない。このことを念頭に置いて、自分自身と周囲の人たちの経験を思い起こしながら読めば有益な教訓が得られるはずの書物である。

 
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