常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(2)

5月18日(日)晴れ

 昨日に続いて常見陽平『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(NHK出版新書)の内容を紹介する。いろいろと考えさせられる内容が多いので、今回は全体の中に2章と3章を取り上げていく。2章の方を重点的に論じていることをあらかじめ断っておきたい。

 第2章「『即戦力』はどこにいるのか」ではまず、「ユーキャン新語・流行語大賞」(通称・流行語大賞)を受賞したり、ベスト・テンにランクインした言葉の中から会社員や働き方にかかわるものを選び、新入社員に求められるものと労働環境のかかわりについて考察している。少し角度は違っているが、入社式の訓示を時系列的に追いながら分析した第1章とよく似たアプローチがとられている。実態よりも意識の方に焦点が当てられているので、その点は用心して読んでいく必要がある。

 平成15(2003)年の「年収300万円」(森永卓郎さんの造語だそうである)、20(2008)年の「名ばかり管理職」、25(2013)年の「ブラック企業」などの言葉からは正社員の労働環境の劣悪化が読み取れるという。その一方で非正規社員も平成の働き方を象徴するものであり、平成18(2006)年の「格差社会」、19(2007)年の「ネットカフェ難民」、20(2008)年の「蟹工船」、21(2009)年の「派遣切り」などがこれに関係する言葉である。その一方で一見、前向きに見える言葉もあるが、平成22(2010)年の「イクメン」など子育てへの参加を支援するような環境が整備されないままで奨励された場合、「単なる労働強化を煽る言葉」(66ページ)になってしまう恐れもあるとしている。「何かを変えそうで買えない、そんな言葉が並んでいる」(同上)、「情報があふれ、実現可能性があまり考慮されずに、多様な選択肢だけが提示される時代」(67ページ)であるという印象を地流行語大賞の分析から著者は引き出している。

 第2章では引き続き現代コミュニケーションセンター→日本生産性本部「職業のあり方研究会」による「今年の新入社員」という調査の概要をたどる。そして「ここで言っていることは毎年ほぼ同じなのである。…いかにもステレオタイプの若者評論でしかない」(69ページ)と断じている。「若者はいつも未経験で未完成であるにもかかわらず、身の丈に合わない力を求められているのである。『できる人』幻想そのものだ」(72ページ)という見解は傾聴すべきものである。

 第1章で著者は企業が求める人物像が次第に高度化している傾向を指摘したが、この点についての学術的な研究も少なからず行われてきた。おおざっぱにいうと学歴に集約されるような〔近代的能力〕に加えて、「人間力」や「コミュニケーション能力」などの力が求められるようになってきているという。<また工業化の時代から、徐々に第三次産業化していくにつれて、日本の産業界が大学に向けて、国際化に伴う創造性要求を増してきたとする研究もある。様々な研究はそれぞれの角度から企業が求める人物像の高度化を裏付けているように思われる。

 以上をまとめてみると、「企業をめぐる経営環境が厳しくなり、これまでの日本的経営の特徴であるとされてきた終身雇用と年功序列が徐々に崩れ、正規雇用と非正規雇用の格差が拡大している」(78ページ)ということになる。会社員生活の出発点であるはずの入社式で「会社人間いらぬ」という訓示がなされる背景にはこういう認識がある。しかし、このような危機が本当に到来しているのか、実際に企業は自分たちが求める「できる人」を採用できているのかという疑問が湧き上がる。厚生労働省の統計によると、会社にずっと残ることができる時代ではなくなってきているが、その変化はじわじわとやってきている。「じわじわした減少傾向が、まるで「崩壊」したかのように報じられて」(79ページ)いるのではないかと疑われるという。特に大企業においては長期雇用の傾向が根強いことからもこれらの言説にはどこか矛盾があると感じられる。

 その他労働環境をめぐる様々な変化はいずれもじわじわと起きていると著者は言う。それなのに、「劇的」な変化が起きているかのような議論が飛び交っている。さらに企業の側の採用活動の評価についてみると、求める人物像を高度化したところでそのような人材は十分に採用できず、妥協して採用しているのではないか、「即戦力」がとれているかどうかは疑問であるという。

 そもそも「即戦力」ということば何を意味するのかが不明である。日本の大学ではすぐに社会で通用するような職務スキルは教えてくれない。「比較的、職務に近いといわれている理工系や家政系、教員養成系の学部、経済学部や法学部でも実務とはズレている」(90ページ)。私の経験から言えば、「ズレ」ていることを自覚して教師の側が教え、学生の側が学べば、それなりの意義が生まれる、大学には実社会の理想を示すという役割もあり、大学を単なる就職準備の場と考えてはいけないのだが、著者はそこまでは言っていない。

 著者は「即戦力」ということばがもてはやされることになった背景に、新卒一括愛用の仕組みと、その前提になる環境の変化があると論じる。大卒者が増えて新卒採用戦線に参入する学生が増えてきただけでなく、就活の時期が早期化し、期間が長期化したこと、自由応募が促進されたため学生の就活も企業の採用活動も肥大化・煩雑化してきたことがあると論じる。さばく量が多くなってきたので、少しでも量を減らし、優秀な学生だけに応募者を絞るための脅し文句として「即戦力」という言葉が重宝されているのではないかという。「『即戦力』という言葉は罪深い。どういう力を持ったものが『即戦力』といえるのか、社長や人事担当者には具体的に説明していただきたいものだ」(96ページ)と著者は言う。確かにプロ・スポーツの世界などで「即戦力」とされる選手と、「育成」の対象とされる選手との両方が採用されるが、それはどのようなチーム作りをするかという具体的なイメージとしっかり結びついているようである。また、就職活動との関連で、インターンシップの意義などについても考察した方がよくはないかと思ったりした。中小企業だとアルバイトからそのまま正規の社員になる事例もあるはずで、そういう可能性も視野に入れておける方がよいのではないだろうか。

 第3章「「グローバル人材」とは誰のことか」については簡単に済ませることにしよう。昭和の末のバブルの時代から「グローバル」ということはずっと言い続けられてきたと著者は指摘する。著者は自分の経験に基づいてグローバル人材は育てられるものなのかというごくまっとうな疑問を提出している。それが誰によっても反論されない性格のものであるために、企業がより優秀な人物を探し出す手段としてこの言葉を使っているだけではないかとさえ論じている。

 これまでの紹介から読み取れるように、この書物は、事実よりも「意見」の方に分析の重点を置いて議論を進めており、読みやすく面白い半面で、実態がどの程度反映されているのかという点をめぐっては疑問が残る。第4章、5章ではいかなる議論が展開されるのであろうか!?
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