そこのみにて光り輝く

5月4日(日)晴れ

 テアトル新宿で『そこのみにて光り輝く』を見る。『海炭市叙景』と同じく佐藤泰志の原作小説の映画化。『海炭市』が短編集であったのに対し、同じく函館を舞台としてはいるが、こちらは佐藤が残した唯一の長編小説の映画化だという。

 砕石現場で働いていた時に、自分の不注意で仲間を死なせたことへの自責の念から仕事もせずに、アパートで無為の日々を暮す達夫。ただ一人の親族である妹から両親の墓地を決めろ、結婚しろという手紙が届いている。ある日、パチンコ屋で知り合った拓児という青年から彼の家に誘われ、昼食を作ってくれた拓児の姉の千夏と惹かれあう。

 千夏と拓児の父親は脳こうそくで寝たきりになっていて、母親が面倒を見ているが、思わしくない様子である。拓児は事件を起こして服役し、現在は仮釈放中であり、千夏が愛人になっている男の世話で植木職人の仕事をしている。腐れ縁が2人を支配している。達夫は元の仕事に戻るように誘われている。戻れば生活は豊かになるのだが、その仕事のために付きまとわれているトラウマのために決心がつかない。

 一人暮らしで家族とは縁のない生活をしている達夫は何をするということもなく、刹那的な快楽を求めているようにも見える。妹からの手紙に返事を出すこともしないようである。千夏と拓児の一家は負の連鎖に見舞われている。家族の意義が問われている。砕石という命がけの仕事にかかわる人間にとっては家族は必要がないという声も聞こえる。

 原作者の唯一の長編小説ということであるが、映画化に即してみた限りで物語の展開に起伏が乏しく、その点では退屈である。その一方で、作品が投げかけようとしている問いは無視しがたいものに思われる。函館は日本の代表的な港町である。港には両義性と境界性がつきまとう。この映画は港を描いてはいないが、その代わりに海と丘の上の神社、そして神社の祭礼を描きこんでいる。海と丘(山)、山で砕石をしていた達夫と、漁師の娘で塩辛の工場で働いている千夏とはいわば神話的な組み合わせである。一方で家族の血縁の継承を願う気持ちがあり、悪しき血縁を断ち切ろうとする意志もあるようにみえる。一人の人間の中でも気持ちの変化があり、おたがいに影響しあう関係になればそれだけ気持ちの持ち方は複雑になる。

 定職がないとか、経済的に立ち行かないとかいうこと(それもこの映画の中で描かれていることではあるのだが)とは別の意味で、人生の極限状況を生きている男女の愛を描きながら、映画は個々の人間を超えた生きることの意味を問おうとしている。人生に希望を寄せることは大事ではあろうが、安易な希望はそれだけすぐに破られる。『海炭市叙景』が入り口だけを描いていた北国の人生模様を、この作品はさらに奥深く突っ込んで描こうとしている。私よりも年少の佐藤が早くこの世を去ったのは残念ではあるが、文学作品という多義的な形式で彼が問いかけた人生についての問いは多くの人々に継承されるべきであると思う。
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