銀座の恋の物語

4月28日(月)曇り

 NHKBSプレミアムで1962年の日活作品『銀座の恋の物語』を見る。BSプレミアムではこのところ月曜日に日活の旧作を放映しており、普段はクレジット・タイトルだけ見て、あとは見ないことが多いのだが、なぜかこの作品はずっと見続けてしまった。傑作とはいいがたいが、面白いことは面白い。

 1961年1月に封切られた石原裕次郎主演の映画『街から街へつむじ風』の挿入歌として使われたデュエット曲『銀座の恋の物語』はテイチクレコードから発売されて大ヒットとなり、改めてこの歌を題名とする映画が作られることになった。裕次郎のデュエットの相手である歌手の牧村旬子も映画に出演しているが、2人がデュエットで歌う場面はない。裕次郎のこの作品での相手役は浅丘ルリ子であり、その妹分の役どころで泉雅子が出演、映画の展開に絡む新米女性警官という役で江利チエミが特別出演的に顔を見せているのが今になってみると懐かしい。

 若い画家の伴次郎は作曲家志望の宮本修二と同居しながら作品を手掛けている。彼にはデザイナーとしての才能も有り、企業からの勧誘も受けている。2人が暮らすビルの向かいのビルのはブティックの縫製作業場があり、そこで働くお針子の秋田久子と次郎は恋仲である。次郎は久子の肖像画を描いている。二人がいよいよ結婚しようとして信州にいる次郎の母親のもとに向かおうと、新宿駅で待ち合わせるのだが、急な仕事で出発が遅れてしまった久子は交通事故にあう…

 この作品はレオ・マッケリー監督のアメリカ映画『めぐり逢い』(An Affair to Remember, 1957)に似ているという指摘があるが、似ているのは主人公が画家志望であることと、ヒロインが交通事故にあうことくらいである。映画の脚本執筆者の1人である熊井啓が手掛けた『霧笛が俺を呼んでいる』がキャロル・リード監督の『第三の男』に似ているに比べれば、その程度は軽い。映画を見てその設定をこうつくりかえた方が面白い、いやこうすべきだと話すのは映画界の住民ならば誰でもすることであろう。

 この映画が『めぐり逢い』と比べて大きく違うことは、主人公たちの世界である。『めぐりあい』の男女は豪華客船の旅の中で出会い、それぞれが金に不自由しない暮らしをしているのに対し、『銀座の恋の物語』の登場人物たちは貧乏であり、夜通し仕事をし(当時の労働基準法はどういう規定になっていたのであろう)、ささやかなプレゼントに胸を躍らせる。2本の映画の製作年代は4~5年しか違わないのだが、このような設定と、その前提をなしている映画の観客たちが映画に求めるものは日米で大きく違っているのである。簡単に言えば、アメリカ映画の方はセレブの世界の夢物語として作られているのに対し、日本の方は観客に身近な、共感を呼ぶ世界の出来事して描かれている。

 本家の『めぐり逢い』はマッケリー監督が1939年に作った『邂逅(Love Affair)』のリメイクであり、1994年にも3たび映画化されているほかに、1993年に製作されたノーラ・エフロン監督の『めぐり逢えたら』にも影響を及ぼしている。1957年版に主演したデボラ・カーは美貌に加えて演技の幅の広い女優であったが、数々の名作にもまして、この『めぐり逢い』が今日もっとも多くの観客から支持されているようである。

 『銀座の恋の物語』についてみると、そういう映画があったという記憶は残るだろうが、映画よりも歌のほうが今日では人気があるのではないか。その意味では裕次郎と牧村旬子がデュエットで歌う場面、あるいは難しかったのかもしれないが、裕次郎とチエミがデュエットで歌う場面があればもっと良かったのではないかとおもう。チエミの親友であった美空ひばりと小林旭が結婚していた時期があるというようなゴシップを念頭に置いてみると、チエミが出演していること自体にも興味が持てるのだが、出演している以上、もうちょっと出番が多く、歌も途中で終わらせずに全部歌わせてほしいと思ったりした。この作品での浅丘ルリ子は美しいがまだ幼さが残っていて、それが魅力的である。彼女の美しさが研ぎ澄まされてくるのは、1960年代の後半になってからのことだったのではないかと思う。

 久子が待ち合わせに遅れまいと新宿駅にタクシーを走らせる場面で「省線」ということばが出てくる。戦後、鉄道省がなくなったので、小学校の先生から省線ではなく、国電といいなさいとよく注意されたことを思い出す。まだこの時期は「省線」ということばが生きていたのである。国鉄の民営化に伴って国電に代わりE電ということばが作り出されたが、一向に普及せず、普通にはJRが使われている。考えてみれば、JRも私鉄も電車ばかりなので、ことさらに電車ということはないのである。

 電車といえば、映画の中ではまだ銀座の街を都電が走っている。東京湾の埋め立てがまだ進まず、海岸線が近かったこともわかる。一方で華やかな目抜き通りから裏通りに入ると、大きく眺めが変わる銀座の表裏、光と影が強調されているのも当時の日活のスタッフの社会的な意識の表れとして評価しておいてよかろう。蔵原惟繕監督の才気はそうした景観の描写よりも、時として奔放なカメラワークの方に示されているように思う。いろいろな可能性が込められた映画であったのである。
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