東海林さだお『花がないのに花見かな』

4月26日(土)晴れ

 東海林さだお『花がないのに花見かな』(文春文庫)を読み終える。『オール読物』に2009年から2011年にかけて断続的に掲載された「男の分別学」を改題して、2011年4月に文藝春秋から単行本として刊行されたものの文庫化で、解説を今柊二さんが書いている。4月20日付の当ブログで東海林さんの『いかめしの丸かじり』を取り上げており、1週間のうちに同じ著者の本を2冊扱ったことになる。退職してからは、できるだけ単行本は買わずに文庫本になってから買うようにしているが、それでも私の本棚は東海林さんの本で埋まってしまっている。なじみの古本屋さんでも引き取ってくれそうもないほど読み散らかし、汚した本が少なくない。

 もともと東海林さんはマンガ家であり、マンガも好きである。こちらは本になったものを買って読むほどではないが、新聞に連載されているマンガはよく模写をしたものである(当ブログで披露するほどの出来ではないのが残念ではある)。東海林さんの漫画の主人公の多くは男性サラリーマンでそのまた多くがひどくミミッチイ性格の持ち主である。毎日新聞に連載されている『アサッテくん』に至っては、主人公だけでなく、その妻、息子、娘の一家全体がミミッチイ性格に描かれている。そういうミミッチイ性格に愛着を覚える。

 長く山梨大学の生物学の教授として異色の存在であった白上謙一(1913-1974)は、その専門とはあまり関係のない『ほんの話』という隠れた名著の著者としても知られるが(知る人ぞ知るというところか)、その中でこんなことを書いている。「非常にミミッチイ事物に一生をうちこみ、信じられぬほどの精妙さに達すること、これは日本人における『優秀性』の一つの理想像ではないか」(社会思想社:教養文庫版、80ページ)。

 白上はこのようなミミッチイ事物へのこだわりを自らの中にも認めたうえで、その克服の必要性について述べているのだが、東海林さんの著書の人気の一端が日本文化の中の小事(=東海林)にこだわる傾向と結びついていることは否定できそうもない。

 むろん、東海林さんの作品について批判する人がいないわけではないので、今は亡き開高健は谷沢永一、向井敏との鼎談集『書斎のポ・ト・フ』の中で下手な漫画家の代表として東海林さんの名を挙げている。実際に模写を繰り返していると、東海林さんの絵は決して下手ではないし、東海林さんが大量の似顔絵やスケッチを書き溜めているという事実もあるが、その努力が見えにくいほどに東海林さんが自らを卑下韜晦するポーズをとり続けているということも事実かもしれない。

 書評にならずに、作家論になってしまっているが、この書物においても東海林さんの好奇心と行動力は衰えず、表題のごとく花がないのに花見に出かけ、ホルモン料理をつつき、万座温泉にある旅館に「自炊旅行」に出かけたり、銭湯を梯子したりしている。興味のある問題については、たとえ自分より年少であっても先達と言えそうな人物の教えを乞い、知識を吸収する貪欲さもこの著者独特のものである。特に「女探偵の極意」という対談が面白い。

 そういうことでやっぱり、いくらごまかそうとしても東海林さんは、その努力を見えにくくする努力も含めて努力の人なのである。だからこそ、「草食男子、許すまじ」という巻末のエッセーと竹内久美子さんとの対談が効果を発揮するように思われる。単に社会観察としてだけでなく、社会批評(批判)として読めるところに凄みがあるといっておきたい。
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