ゾラ『居酒屋 L'Assomoir』の周辺

4月14日(月)晴れ

 4月11日に放送された『まいにちフランス語」応用編「作家とともにパリ散歩」はゾラ(1840-1902)の『居酒屋』(1876)の中の、クーポーと結ばれて間もないジェルヴェーズが仲間たちとルーヴル美術館を訪問するくだりを紹介した。労働者や職人からなる婚礼の一行は、その中でただ一人のブルジョワであり、教養の面で優位にあると自負するマディニエ氏の案内で美術館の展示室をめぐるが、自分た地とは縁のない居心地の悪い場所にいるように感じ、途方に暮れる。展示されている作品を理解するのに必要な教育を受けていない彼らは、有名な作品を見てもその意義を理解できない、

 Il aurait fallu une heure devant chacune, si l'on avait voulu comprendre. (本当に理解するつもりがあったなら、ひとつひとつの絵の前で1時間は立ち止まる必要があっただろうに。) クーポーは『モナ・リザ』の前で立ち止まって、親戚のおばちゃんにそっくりだぜ、と言ったりする。

『居酒屋』を含むルーゴン・マッカール叢書は第二帝政期のパリに生きたルーゴン家とマッカール家の人々の性格や、彼らの運命を環境と遺伝とによって説明しようとしたシリーズである。講師の1人であるヴァンサン・ブランクールさんはCe que met en scene ici Zola, c'est la rencontre impossible entre la culture bourgeoise et le monde populaire.(ここでゾラが描こうとしているのは、ブルジョワ文化と庶民の世界のありえないような出会いである)とこの場面を要約している。しかし、第二帝政期のパリの労働者や職人たちが本当に美術が理解できなかったかということについては多少の疑問が残る。

 手元に資料がないので記憶に頼って書くのだが、この時期にローマ教皇庁を訪問した英国の文人で教育にも携わったマシュー・アーノルド(1822-88)はヴァティカンの高僧から、無学な職人たちが寺院内の美術品を実に的確に論評しているという話を聞いて強い印象を受けている。ルーヴルのほうは世俗的な作品で、ヴァティカンのほうは宗教的な作品であるし、実はイタリアの職人たちは自分たちの日常生活を通じてその審美眼を鍛えていたということのようであるが、無教養だから美術作品が理解できないというのは性急な決めつけである可能性もないとは言えない。

 『居酒屋』の原作は読んでいないし、ルネ・クレマンによる有名な映画化もまだ見ていないので、色々と書くのは遠慮するほうがいいとは思うのだが、ジェルヴェーズとクーポーの間にできた娘のアンナ(ナナ)は同じルーゴン・マッカール叢書の中の『ナナNana』(1879)の主人公になるし、ジェルヴェーズがクーポーと結ばれる前の恋人であったランティエとの間に設けた息子のエティエンヌは北フランスの炭鉱におけるストライキを描いた『ジェルミナール Germinal』(1885)の主人公となる。『ジェルミナール』もクロード・べり監督によって映画化(1993)され、日本でも公開された。その際の題名は『ジェルミナル』になっていた。

 なお、ゾラはパリ生まれだが、少年時代をエクス=アン=プロヴァンスで過ごし、中学時代の同級生であったセザンヌと長く親交が続いた。ゾラは印象派の画家たちを支持する美術評論も書いているようで、その点も考慮に入れてこの箇所を読むべきであろう。

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