飯沼賢司『八幡神とはなにか』

4月6日(日)天候定まらず、時々雨

 飯沼賢司『八幡神とはなにか』(角川ソフィア文庫)を読み終える。2004年に角川選書の1冊として刊行された『八幡神とはなにか』を文庫化したものである。

 「八幡神は、恐ろしい人を殺す軍神の顔から慈愛にあふれた里の鎮守まであらゆる顔をもつ不思議な神である。現在日本には、小さなものまで含めると、四万社以上の八幡宮がるが、この神は、最も身近な神であると同時に最も民衆から遠い国家神でもあった」((10ページ)と著者は言う。この書物では豊前国(大分県)の宇佐八幡宮の成立と発展、さらに東大寺の大仏の造立とのかかわりからこの神が国家との結びつきを通じてその信仰を拡大してきたこと、さらに神仏習合や御霊信仰との結びつきによってその性格を変えてきたこと、宇佐八幡宮と石清水八幡宮の統合の過程とその中での権力との結びつきや権門化の動きなどを取り上げて、12世紀までの八幡信仰の性格の変化と特質を論じている。したがって、鶴岡八幡宮などは記述の対象外ということになる。

 長く宇佐八幡宮と八幡信仰の研究に携わってきた中野幡能は、八幡神をこの地に存在した地域国家の地域神あるいは氏神として祭祀されていたと考え、それが通説となってきた。宇佐の地は律令国家の時代には辺境と考えられたかもしれないが、それ以前には有力な地域国家の所在地であったかもしれないというのである。これに対し、著者は偏狭だからこそ、国家神というべき神が出現したのではないかと考える。宇佐は古代国家にとって、隼人の土地と境を接する辺境の地でありそれゆえにこそ古代国家の成立と密接にかかわっていた。「おそらく、八幡神は豊前国の渡来系の人々が律令国家の対隼人政策の尖兵にされた時に、その軍神と国境を衛る神が連動して創設された神であると考えられる」(22ページ)と著者は考えている。

 「日本で最も早い段階で仏教に遭遇し、それと結合した神が八幡神であろう」(26ページ)。著者は8世紀に豊前の国で医療活動に従事して国家からその功績を認められた法蓮という僧侶の活動に注目する。彼は放生という行為を導入したが、これは宇佐八幡のもっとも重要な祭である放生会に連なるものである。戦闘行為は国を守るものであるとはいえ、多くの死者を生みだす。死者の怨霊により疫病やその他の災害がもたらされると考えられていたので、死者の慰霊の行事である放生が意味をもつのである。

 八幡信仰は日本と新羅の関係が悪化するにつれて新羅に対して戦う神としての崇拝をうけるようになる。疫病から人々を守る神としての性格も備え、両者が分かちがたく結びついていたのである。さらに740年に起きた藤原広嗣の乱においても八幡神の神威が期待された。この乱が隼人による最後の反乱という性格も持っていたことから、もともと対隼人の神であった八幡神への信仰はさらに強まることになる。八幡宮には弥勒寺という神宮寺が建立されるが、これは国分寺の建立と趣旨を同じくするものであったと考えられる。「ただ、八幡宮が国分寺とまったく異なるのは、仏教による鎮護国家だけではなく、神と仏が融合した神仏習合による鎮護国家という、これまでにない日本独自の鎮護国家の方式を確立していたことである」(52ページ)と著者はその性格についてまとめている。このような性格が東大寺の大仏造立に際して、大きな役割を果たすもととなるのである。

 著者である飯沼さんは大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館における勤務を通じて、宇佐八幡宮やその周辺の地域についての踏査活動を積み上げただけでなく、中野幡能からも多くの教示をうけながら、その研究を進めてきた。従って中野をはじめとする先行研究者たちの業績に対して多くの異論を唱えているとはいうものの、それぞれが実証的な根拠に基づくものである。このことが著者の議論を魅力的であるだけでなく、説得力に富んだものとしている。今回ははじめの方の部分の紹介だけに終わってしまったが、この書物の面白さはこれから紹介する部分にあると思うので、読み続けていただきたい。
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