ダブリンの時計職人

4月3日(木)雨

 渋谷UP LINK Xでアイルランド映画『ダブリンの時計職人』(2010年、ダラ・バーン監督)を見る。

 イングランドで職業を転々とした挙句失業して住む場所も失ったフレッドは唯一残った財産である車とともに故郷であるダブリンに戻ってくる。故郷といっても親戚も知人もなく、昔住んでいた家には他人が住んでいる。海岸の駐車場に車を止めて、洗面には公衆トイレを使ったりする。住所がないためにイギリスでちゃんと掛け金を払っていたにもかかわらず、失業手当を受け取ることができない。

 同じ駐車場に住みついた青年がいる。カハルという名前の彼は父親とうまくいかずに、家を出て自動車を住みかとしている。ドラッグを断ち切れず、悪い仲間との付き合いがある彼であるが、フレッドにいろいろな生活の知恵を授け始める。スポーツセンターを利用するように勧めたのはその一つである。センターのプールでフレッドは未亡人であるピアノ教師のジュールスに一目ぼれしてしまう。彼女が合唱隊の伴奏をしている教会に出かけたり、さらに彼女の家に出かけたりするが、自分の本当の姿をどうしても告白できない。

 フレッドは処世術は下手かもしれないが、自分の自動車をいろいろ改造して住みやすくしたり、起きたら音楽をかけ、小さな植物に水をやり、トランクの中の水タンクから水を出して歯を磨いたりする。時計職人をしていたことがあって、どんな時計でも直してしまう。しかし、時計を直すという仕事が電池式の時計が主流になってくると個人営業にふさわしいものではなくなっていることも確かである。(そのくせ、時計の修理には高い金を取られ、サーヴィスも悪い。) 地域に住む人々がお互いの特技を認め合い、助け合って生きるなどというのは全くの幻想になっているのが現在の社会である。フレッドが愛すべき側面を多く持つだけに、社会の不条理が強く感じられる。しかし、社会の不条理に打ちのめされるのは結局、フレッドではないのである・・・。

 ダブリンには2度出かけたことがある。この映画の舞台になっているのは、中心部よりももっと東側の海沿いの地域のようで、見覚えのある風景には出会わなかったが、冬の荒れた海の情景が何度も映し出され、主人公やその周辺の人物の心の中を反映する描写のように思われた。晴れた日に、飛行機でアイリッシュ海を渡るときなど、その美しさに見とれるのだが、海にもいろいろな表情がある。

 カハルが何度勧めても、フレッドはプールの飛び込み台からプールに飛び込むことができないのだが、ラスト・シーンで生活が変わって、一人になった彼は、一人でプールに飛び込む。生活だけでなく、彼の内面にも変化が出てきたことを暗示して、映画は終わっている。アイルランドといえば、すぐに連想されるパブと酒の場面は全くなく、出てくる教会もプロテスタントの教会らしい(アイルランド国民の大多数はカトリックである)。いろいろな意味で「らしさ」を打ち消しながら、この映画はアイルランドの現在の問題に迫ろうとしているようである。そしてこの映画が取り組もうとしている社会の問題は、アイルランドだけのものでもなさそうである。
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