アルジェリアにかかわる映画

1月18日(金)晴れ

 アルジェリアにある天然ガス関連施設で働く多くの人々がイスラム武装勢力に拘束された事件について、情報が錯綜して詳しいことは分からないが、出来るだけ無事な解決を祈るのみである。

 本日の毎日新聞のコラム「金言」に西川恵氏が「テロの最初の被害者」という文章を書かれている。「アルジェリアと聞いて、60代以上の世代の日本人が思い浮かべるのは、フランスからの独立闘争を描いた映画『アルジェの戦い』(1966年、ベネチア国際映画祭金獅子賞)だろう。昨年はその独立50周年だった。しかし近年、同国には『無差別テロによって、国際社会で孤独な戦いを強いられた国』のイメージが刻印されている。/91年の総選挙で、アルジェリアのイスラム原理主義政党は8割以上の議席を獲得した。危機感を抱いた軍は実権を握り、同党を非合法化。地下に潜ったイスラム過激派は無差別テロを展開する。文民政権が復活する99年までに殺害された人は、知識人、ジャーナリスト、政治家、外国人など実に10万人に上った。/(中略)[9・11以後]『テロとの戦い』は国際政治の基準となり、遅まきながら『アルジェリアはテロの最初の被害者だった』との認識が共有されていく。」

 この文章を読んでいて、『アルジェの戦い』は記憶に残る限り3度見ているにもかかわらず、アルジェリアの事情については無知であったことに気づかされた。それとともに、昨年見たカナダ映画『ぼくたちのムッシュ・ラザール』の主人公であるラザールについて思いだした。彼は妻子をテロで失ってカナダでの永住申請を求めているアルジェリア人として描かれていた。ある学校で教師が教室で自殺する事件が起き、その後任にラザールが応募、採用される。しかし彼は自分の本当の姿を隠している。教師であったのは妻の方で、彼は教師であった経験はないのである。おそらく彼は妻への愛情から教師として生きることにより、その遺志を継ごうとしているのである。しかし、だからと言って、経歴を偽って教師をすることは見過ごすことのできない行為である。

 『ぼくたちのムッシュ・ラザール』という映画が描いているのは、教師の側からも生徒の側からも多文化化しているカナダの教育の現状であり、その中で人権に配慮し、子どもたちの主張を受け入れる教育を行おうとする新しい動きと、伝統的な教育の良さに固執するラザールの対立であるが、子どもたちとの取り組み、同僚たちとの交流でラザールの心の傷が癒されていく―などというのではなく、様々な問いを投げかけながら、映画は答えを与えずに少し突き放した結末を用意している。そしてそのさらに背後に教師にも生徒にも人間であるかぎり、心に傷を負っている可能性はあるし、それが容易にはいやすことのできないものであるかもしれない、安易な解決は求めるべきではないという主張が読みとれる。さらに言えば、教師には心の傷に加えて、自分の能力を越えていたり、信条に反する行為を子ども相手にすることで、ある種の疾しさの気分が付きまとうことも否定できないということも述べられているように思われる。

 そのような問いと主張を投げかけながら、テロがどのように平凡な人間の生活と考え方、生き方に影響を及ぼすのかということについても、『ぼくたちのムッシュ・ラザール』はわれわれに考えさせようとしていると思うのである。

 
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