語学放浪記(26)

3月21日(金)晴れ、風強し

 一昨日(3月19日)の当ブログ「Les senbei」について、フランス在住のMGBさんからコメントを頂き、フランスで暮らしていると煎餅が恋しくなる理由を確かめることができた。コメントに対する返事は別に差し上げるつもりであるが、ここでお礼を申し述べておきたい。フランスに出かけたことは1度きりで、国際会議の末席を汚し、3食フランス料理という豪華版の滞在だったので、そういうことは分からない。

 ヨーロッパに滞在した日数を全部合わせて400日を超えるかどうか。その9割ほどは英国で過ごした。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地方のすべてに足跡を記したとはいうものの、もっと詳しく見ていくと、イングランドではコーンウォール、スコットランドのハイランド地方などまだ足を延ばしたことのないところが出てくる。とにかく、英国では塩味のスナックのようなものは簡単に入手できるからフランスで煎餅が恋しくなるという気持ちが想像できなかったのである。

 3月13日放送の「まいにちフランス語」応用編の練習問題で「フランス語で書くことを選ぶことで、ベケットは、自分の母語である英語を捨てたのである」(解答例はEn choisissant d'écrire en frnçais, Beckett a renonce a l'anglais, sa langue maternelle.)という文が出てきた。1969年にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの小説家・劇作家であるサミュエル・ベケット(1906-89)はEn attendant Godot(ゴド―を待ちながら、1952)のような不条理劇で知られるが、フランスに定住して作家活動を行っていた。たしかに、彼は英語が母語であったが、アイルランドでは英語とともにアイルランド語(ゲール語)が国語とされているし、彼が育った時期のアイルランドは、アイルランド語の復興運動が盛んな時期であったのではないかと思われる。だから、ジョイス(1882-1941)の助手を務めた時期があることも手伝って、ベケットはかなり複雑な言語意識をもっていたと想像される。ジョイスが距離を置きながらも、尊敬し続けたイェイツ(1865-1939)はアイルランド語と文化の復興に尽力した人物の1人であり、さらに年長の世代に属するワイルド(1854-1900)は代表作の「サロメ」をフランス語で書いている。アイルランドはもともと大部分の人々がゲール語を話していたのが、(話せば長くなる過程を経て*)英語が次第に浸透して行った。だからアイルランドの特に知識人たちの言語意識は押し並べてかなり複雑なものであったと考えられる。(*たとえば、スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を書いた時代には、ダブリンでは英語が支配的であったが、アイルランドの他の部分ではゲール語を話していた。)

 現在、アイルランドのさまざまな表示は英語とアイルランド語の二言語になっている。一度ダブリンからベルファストまで汽車の旅をしたことがあるが、駅の名前がアイルランド国内では二言語表示なのが、北アイルランドに入ると英語だけになったのが印象的であった。このような二言語表示はウェールズでも見受けられる。ウェールズでも鉄道の駅の名前は英語とウェールズ語の二言語で書かれていた。それだけでなく、ウェールズの国旗にも描かれているドラゴンが、多くはマンガ風に書き添えられているのが面白かった。写真を撮ってくるか、模写しておくべきであった。ウェールズ語もアイルランド語と同様にケルト語派に属する言語であるが、ケルト語派に属する言語としては、スコットランドのゲール語、フランスのブルターニュ地方に残っているブルトン語なども挙げられる。英語、あるいはフランス語の使用が支配的になる一方で、これらの言語を保持していこうという運動も盛んである。

 何が言いたいのかというと、国家が(自覚的・あるいは無自覚的に)言語政策を設けて国民の言語生活の望ましい方向付けを行うのは1つのことであって、各個人がどのような言語生活を選んで生きていくのかは別のことであるということである。日常生活でどのような話し方を選ぶか、学校でどのような言語を学ぶかというのは基本的には個人の問題である。伝統的な言葉を守っていくか、それとも広い範囲で通用し、仕事の上でも役に立つ言語を選ぶかというのは難しい問題であるが、その両者のバランスをとることを含めて、やはり個人の問題と考えるべきである。昨年見たイタリア映画『海と大陸』に出てくる母親と息子の場合、母親が標準イタリア語を話すのに対し、息子はシチリア方言を話している。「母語」という概念自体が限界をもっていることがわかる。
 
 そうはいっても、世の中には常識というものがある。その言語が国際社会と国内社会でどのような役割を果たし、評価を受けているかを大雑把に理解することは必要である。私が学生の頃に、英語は帝国主義者の言葉であるから勉強しない、などといって落第を繰り返している学生運動家がいたが、第二外国語に選んだ社会主義国の公用語の単位も落としていたので、単なる怠け者の口実でしかなかったように思われる。ただし、こちらも他人が2年間で単位を取り終えるドイツ語を3年かけて勉強したのだから、他人の悪口を言う資格はなさそうだ。とにかく、自分の道を選ぶための予備知識と、それを生かす努力は必要である。

 さて、MGBさんのコメントは、フランス語を勉強しようと思うようになった動機についての質問で終わっているのだが、ごく大雑把な動機というか、背景にあるのは、一応学問に志すうえでフランス語とドイツ語くらいは辞書を引いて読めるようにならなければ格好がつかないというようなことを先生や先輩や同輩からいわれるような環境の中で学生生活を送ったこと、したがって確たる動機というのはなくて何となくだらだらと勉強してきたというのが本当のところである。ただ、少しやる気を増す動機付けになったのは、私は英国の社会思想史のようなことに興味があって、そういう英国の思想家たちがフランスの思想家から一番大きな影響を受けているということが分かってきたことである。たとえばジョン・スチュアート・ミルとアレクシス・ド・トクヴィルとはお互いに文通したりして影響を及ぼし合っているのだが、その半面でこの2人の関係にはどこかずれたものを感じる・・・ということでやはりフランス語をしっかり勉強して、トクヴィルのいっていることをより深く理解してみたい・・・と思うようになったし、現に思っているということである。 
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